私が御言葉を聞いて、約一年して礼拝に出るようになりましたが、一年はそこそこ長いと言われています。
しかし私にとっては丁度良かったです^^;
いつから御言葉を本当にちゃんと聞くようになったのかというと、きっかけは一つだけではありませんでした。
都度都度伝えられる御言葉が、私を覆す御言葉でした。
良く覚えているのは『終末』『洪水』『無知』『十字架』の話です。
『終末』の御言葉は、ちょうど3.11、東日本大震災の真っ只中で聞きました。
その時、メンバー達と中華街で食事に行っていたのですが、その時の地震で変えれなくなって、そのまま御言葉を聞きました。
マタイによる福音書24章に書かれてある、メシアが来られる前に起こる「兆候」を聞きましたが、「まさに今、この時のことがこんなにも合うように書かれているんだな」と、当時は知識的ではありましたが、驚いたのを覚えています。(漫画でも詳しく触れてますので是非こちらもご参考までに♪)
また『洪水』の話では、ノアの方舟の話が出てきました。ノアについては、なんとなくゲームとかで内容は知っていたのですが、「裁き」が大きな核心ではありませんでした。
ノアの方舟で起こった洪水の実態は何だったのか?
すごく明確でスッキリしました!
では、では神様はどうして洪水を起こしたのか?どのような心情だったのか…?!
深く深く染み込む御言葉でした。(ノアの洪水についての記事はこちら)
『無知』の御言葉は、私が御言葉に向かう心に釘を打つような御言葉でした。
「ああ、本当にそうだ!」と釘を打つ御言葉だったんです。
キリスト教では、あまり触れられない旧約聖書の「ヨシア王」をメインにした御言葉なのですが、
ヨシア王はとっっっても天の前で善良で、すごく良いことをしたので呆気ない死に方をします。
その原因が何か、ずっと不明で、あまり触れられない部分でした。
でも、ちゃんと分かってみると、「無知」がこれほどにも神様の胸を傷ませ、大きな御心までもぶち壊すものだったのかと、衝撃的に感じました。
この御言葉を聞いたから、さらに『イエス様の十字架』の御言葉は、胸が詰まる思いと、十字架の実態に衝撃を受けました。
この辺りで私はほとんど御言葉に屈服していたと思います笑
何のための十字架の犠牲だったのか、私は全然何も分からずに、あの十字架のマークを見ていました。
私はその時、幼心でイエス様にねだったことがあります。
「十字架のネックレスがほしいです。人々は十字架を訳も分からず首に飾っています。私は唯一ちゃんと十字架の意味を分かったから、十字架のネックレスの本当の意味を分かった者としてつけたいです」
イエス様からしたら、
本当は見たくもない「十字架」
でも私は意味をちゃんと分かったから、あえて覚えていようと。ちゃんと伝えたいという想いがあって、ネックレスを購入した覚えがあります。
当時購入した十字架のネックレスです。大きいとイエス様もよく見えて辛いだろうなと思って、小さいやつにしました。
このようにして御言葉を聞けば聞くほど、神様の切ない心情を感じて、本当にどうにかしてその心情を慰められないかとあれこれイベントをつくって天の前に捧げました。
あるときはイラストを毎朝書いて捧げ、
あるときはエアードラムをしながら讃美を捧げ、
自分の神様、自分とイエス様の間で様々や愛のやりとりを始めたのです。
その時、私は周りよりも、ただ神様との一対一の愛に集中しました。
その期間は恐らく三年くらいだったと思います。
人の目も気になることがあるから、余計に天との一対一の愛に集中しました。
御言葉で心が掴まれ、心情の湖にどっぷり浸かりました。
こうやって徐々に神様の愛を感じるようになって、完全に覆されたのでした。