旧約聖書アモス書にひとつの預言があります。
主なる神は言われる、
「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、
それはパンのききんではない、
水にかわくのでもない、
主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、
主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、
しかしこれを得ないであろう。
その日には美しいおとめも、
若い男もかわきのために気を失う。(アモス8:11~13)
このような時が来ると言われていました。
<神様の真理がない時代>
その時が来ると、若い女も男も、こなたかなたへ、あの学問、思想、愛、物質、名誉、宗教の中から探そうとしても得られないと書いてあります。
「キリスト」が来られる前は、このような時代が来ると言われていましたが、イエス様が来られる前はどんな情勢だったでしょうか・・・?
イエス様誕生前の情勢
当時ローマがエルサレムを占領し、ユダヤの領土が大幅に削られていました。
そして、イドマヤ人のアンティパトロス家の一族であるヘロデが王となっていました。
ヘロデは税金を軽減するなどの政策で優秀な実績を残しましたが、罪もない多くの人を殺す残虐な一面もありました。
異民族の王であったため、ユダヤ教の政治介入にも厳正に対処。続けて横暴な政治を繰り返すため、ユダヤの人々は心の拠り所がありませんでした。
ユダヤ教はどんどん律法遵守の傾向を強め、サドカイ派、バリサイ派、エッセネ派などに分立し、混沌を極めます。
このような情勢であったため、人々はますます救い主を呼び求めるようになったのです。
では、今の時代はどうでしょうか・・・?
日本はとても物質が豊かで栄えていますが、心の病を持つ方が増えています。
物質は満ちているのに、心の拠り所がない。あちらこちらに探すして、見つけて享受したとしても、何かが満たされない・・・
そんな風に感じたことはあるでしょうか・・・?
オヤビンもあちらこちらにはせまわっていたように、
まさに、この時代も「アモス書8章」の預言が成されている時代だと言ってもおかしくありません。
今日は聖書の基本(何が書かれているか?)をザックリとまとめ、どんな預言があるのかを調べてみたいと思います(*^^*)
聖書はどうやって書かれたの?
聖書は全部で66巻でまとめられています。書かれた時期と著者は異なっているのですが、それぞれの書には一貫した流れと主題があります。
旧約聖書と新約聖書を合わせると約6000年分の歴史が書かれているのですが(創世記を入れると137億年分)
どうやったら一貫性を持たせることができるでしょうか・・・?
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。(テモテⅡ3:16)
家族3人それぞれがそれぞれお話を書いたとしても、一貫性を持たせることは難しいですよね。
でも聖書は神の霊感を受けて書かれたものだから、頭は1つということになります・・・!
霊感によって書かれた聖書は、すべての人を救いに至らせる知恵を与えてくれます。
根本的に人間を一番正しくし、義に導く、もっとも有益な教育は、聖書を通しての教育だと言えます^^
聖書にはどんなことが書いてあるの?
聖書は「アダムとエバ」「ノアの方舟」「ヤコブとイサク」「アブラハム」などワンセンテンスごとに区切って読むというよりは、<流れ>があります。
創世記では神様が天地を創造をしていますが、どうして天地を想像なさったでしょうか?137億年もかけて、暇つぶしでしょうか?
コップひとつも目的があってつくられるように、神様も目的を持って天地を創造なさいました。
その目的を成すために、アダムとエバが宗教の祖先として選ばれたのですが、選ばれた二人が堕落して失敗してしまいました。それによって人間はまるで地上から穴に落ちてしまった身の上になりました。だから神様は救うために試行錯誤されながら、旧約4000年を導き、そしてようやく穴から地上に引っ張りだせる核心となる人物が誕生するようになりました。
その救いの核心となったのが救い主「イエス・キリスト」です。
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネ5:39)
永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。(ヨハネ17:3)
聖書は究極的には永遠の命の秘密である「キリスト」について預言し、証しているものです。
キリストを知ることから、神様が目的としている救いと御心を達成できるからです。
神様は今も人類を本来成すべき目的に向けて歴史を広げていらっしゃいます。
<喩え・比喩>で書かれている
聖書を読んでいると「???」と思うようなシーンがたくさんあります。
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。(マタイ13:34)
そこでわたしは言った、「ああ主なる神よ、彼らはわたしについてこう語っています、『彼はたとえをもって語る者ではないか』と」。(エゼキエル書20:49)
神様は聖書を<比喩>で封じておかれました。
そして聖書は神様の御言葉なので、比喩ひとつも神様が悟らせてくださらないと、どんな人間の努力や研究によっても解くことができないのです。
しかし、聖書の主人公であるキリストが来られる時には、これらのものが解かれるようになるようになるとおっしゃいました。
わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。(ヨハネ16:25)
キリストが再び来ることを「再臨」といいます。
キリストの再臨って何?
イエスは十字架に架けられたあと、3日後に復活なさいます。そして40日間弟子たちに現れたあと、弟子たちが見ている前で天に上げられます。
こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて
言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。(使徒行伝1:9~11)
これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。(黙示録22:20)
このようにして聖書には「救い主が再び来る(=再臨)」と預言されているのです!
ユダヤ教が当時メシヤの降臨をずっと待っていたように、現在キリスト教もメシヤの再臨を待っています。
そしてキリストが現れたとき、神様が137億年かけて天地を創造され、人間を創造された本来の目的を果たす歴史(理想世界)が広げられると預言されています(^^)
再臨の前兆・預言
では「再臨」はいつ起こるでしょうか・・・?
弟子たちはイエス様に、再び来るときはどのような前兆があるのか訪ねています。
またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。(マタイ2:3)
弟子たちも気になって聞いていますね。「またおいでになる時」というのが先ほどの<再臨>のことです。「世の終り」とは別の言い方で<終末>とも言います。1999年頃、「終末だ!」「世界が滅ぶ!」と賑わっていたのを覚えているでしょうか・・・。私はまだ高校生だったのですが、1999年から2000年に入る年末のカウントダウンは、非常に騒がしく、ドキドキして迎えたのを覚えています!
では、終末と再臨の「前兆」についてザックリまとめてみたいと思います!
(原本はマタイによる福音書24章を御覧ください^^)
①多くの者が自分がキリストだと言って惑わす
人に惑わされないように気をつけなさい。 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
②戦争・地震・飢饉
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
③憎しみ・裏切り
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
④多くの偽預言者
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
⑤不法・愛が冷える
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
⑥福音が全世界に宣べ伝えられる
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
⑦荒らす憎むべき者が聖なる場所に立つ
預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)
⑧偽キリスト・偽預言者が惑わす
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
⑨日・月・星・天変地異
しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
⑩いちじくの木の葉が出るようになる
いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
⑪ノアの時のようにその時が来る
人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
キリストの再臨のときにはこのような前兆があると書かれてあります。
比喩で書かれているところもあるので、ところどころはわからないかもしれませんね^^;
でもなんとなく、今がどういう時なのか、預言を通して感じるものがあるのではないでしょうか・・・。
だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。(マタイ24:42〜44)
『聖書の預言』についてはこれまで!