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熱心に苦労して生きる必要がない時代


21世紀を生きる日本人、ほとんどの方が飢える苦しさを知らない人たちかもしれません。私も知らないです。ものすごく裕福ではなくても、両親が育て、養ってくれて、何不自由なく過ごせるようにしてくれたから、極貧の生を知りません。

また、時代的にもとても裕福な時代です。高度経済成長期と呼ばれていた時代は、そうは言っていられませんでした。お父さんくらいの世代、それよりも上の世代は、熱心に仕事に打ち込み、生き残るために、必死に働いていました。何かを成し遂げようと走り回っていた時代でした。

私たちはその恩恵を受けて、満ち足りている生活を手に入れました。それゆえに、必死に生きることをしなくなりました。生きるだけの経済があれば、牛丼でもうどんでも食べれば事足りるのです。暇ならテレビを見ればいいし、漫画を読めばいいし、ゲームをすればいいです。遊ぶ相手はいくらでもいます。インターネットと接続すれば、無限に遊びたい放題です。

何のために必死に生きる必要がありますか。

ある程度やれば手に入る世界だから、そんなに頑張りません。ものすごい欲を持たなければ、アルバイトをしてお金を稼げば手に入るのです。だから頑張ると言ってもその程度なのです。

私は一生懸命に打ち込んで生きることを願っていたのですが、自分が弱くてできませんでした。ある程度やって駄目なら諦めてしまうし、自分が嫌いだったので自信もなかったし、平和が壊されそうになるなら自分の成したいことは置くタイプでした。

「私は絶対にこうなります!」なんて親の前で断言できるタイプではありませんでした。本当にそうなりたい心が溢れても、翌日には自信がなくなっているから、どうせ成し遂げられないだろうと思って断言なんてできませんでした。私は本当に弱かったです。

熱心に生きる目的をむしろ探していました。何かを成し遂げたいと思ってずっと探していたのですが、これを突破することが難しかったです。きっと多くの人が何かを探していると思います。でも若い時、自分の人生を深く考える人は多くなかったと思います。

自分のことについて考えない人が本当に多いと思いました。また、なんとなく漠然と考えて毎日を生きている人がほとんどなんだなあと様々な人と話す中で思いました。

労苦することよりも、楽に生きることの方を選択するから、楽に楽になることばかりを望みます。だからそれなりに生きていれば楽だから、汗をかいて労苦して熱心に生きることをむしろ避けます。ああ、これ、すごく分かるのです。私は熱心に生きたかったけど、心は楽になることを求めているから中途半端でした。

しかしこれを突破するほどの信念が、私にはありませんでした。

皆さんはどうですか。苦労したとしても成し遂げたい夢はありますか。

私が鄭明析先生に驚いたのは、本当に一生懸命に生きている姿でした。サッカーも熱く走って最後まで行うし、御言葉も毎日欠かさず書いて説教なさり、神様を世界中に伝えようとあちこちを駆け巡り、絵を通して神様の歴史を伝え、讃美も天を貫くように捧げ、メンバーたちと過ごす時も、全力で接し、一緒に笑い、喜び、楽しみ、涙し、笑顔を忘れず、辛いと言わず、感謝する方です。

どんなに孤独で、また悪口を言われ、寂しく苦しく辛い時も、先生は神様が願う御心を成すことを絶対に諦めませんでした。今もあの場所にいても諦めていません。熱くても寒くても毎日御言葉を書き送り、明け方からお祈りをして、やるべきことをコツコツと勤勉に行います。

同じ時代に生きているのに、先生の生はまったく私の生と異なりました。先生はどうしてそこまでできるんだろう、そう思いました。先生を見ていると、人間として生まれた喜びを感じます。

熱心に労苦する道を進んで選ぶ先生の姿を見ていると、かっこいいなと感じざるを得ません。その生き方が、ドリルのように貫く生で、圧倒します。

仕事もそこそこ、プライベートもそこそこ、幸せに、平和に生きることを願う人が多い中で、先生は真の幸せ、真の平和を成すために労苦し、また労苦します。一人だけでは平和は成し得ないから、私たち自身がもっと生き返るように御言葉で教えて祈ってもくださり、面談もし、問題を解けるようになさいます。

どうして私たちが生きているのか、聖書を通して、根本的に教えてくださいます。

だから私はそれでも、信念を持って熱心に生きることを少しずつ一歩ずつ行えるようになりました。すごくわずかで微弱かもしれないけれども・・・。先生がつくった曲にこんな歌詞があります。

「縮小版、小さく見ずに、拡大版を見なさい。神の歴史もはじめは縮小の歴史だった。あとで、拡大した歴史だった。神様、天地創造なさり、はじめ(最初は)エデンの縮小した歴史だった。あとで拡大した、美しく雄大神秘的な愛の歴史だった(讃美『縮小拡大の生』より抜粋)」

神様の歴史もはじめは微弱で小さく、縮小した歴史だったけれども、あとで拡大した、ものすごい愛の歴史を成し遂げることになりました。

私たちの人生もそうなのだと、感じました。微弱で小さく見えるけれども、拡大して見たら本当に大きなことを行っている・・・。

なまぬるい生き方ならば、熱く探してみてください。先生を直接見てみて下さい。何かぐねぐねひん曲がったとしても、自分を変えたい!あのように生きたい!そういう人間の本能のようなものが、目覚めると思います。

私も毎日の生に疲れることで終わりたくありません。もっと熱く人生を生きたいです。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]