子どもたちと濃厚に過ごすことができる最後の日となりました。明日からは出勤日ですので、会えるとしても朝くらいです。そうしたらあっという間にお別れの日になります。
今日はみんなでお風呂に行き、帰ってからはたこ焼きパーティをしました。姪っ子のみるちゃんがどえらいハイテンションで、高音域の奇声を発しながらものすごい賑やかでした。甥っ子のくまちゃんも、みるちゃんに負けじとハイテンションでした。
子どもたち、やりたい放題ですが、私達、本気で怒ることはしません。でも、一日中子どもたちと共にすると、おつかれモードが漂ってきます。
本当にお母さんたちすごいです。濃厚に過ごすわずかな時間で、お母さんの忍耐力の偉大さを感じました。また子どものイレギュラーな言動に合わせるユーモラスさも素敵です。お母さんは、いろんな顔を備えているんだなあって感じました。
私もおお〜なんでそうなった〜!?みたいなことに、全部反応しなくなりました笑 全部反応していたら、疲弊してきますからね^^; でも、そんな子どもたちからたくさんの力を受けます。
子どもたちと共にする時間は、今振り返ると、天国のような時間だったのだと感じました。子どもたちが近くにいれば、子どもたちに合わせる必要がありますから、お母さんたちは自分の好きなことはできません。
でもそれをネガティブに考えていたら、毎日が地獄のような時間になります。
人間は人生を生きる中で いつでもどこでも天国と隣り合って生きている。 愛する人の目を見つめる時、 うれしく幸せな場所に行った時、 おいしい食べ物を食べる時、 願っていたこと、切に望んでいたこと、一生の願いがかなえられた時、 その瞬間は天国を見て、天国を隣に置いて享受する。(神様の御言葉より)
神様は大切な人と過ごすひと時が「天国のような時間だ」とおっしゃいました。子どもたち、いろいろとやらかすことも多いですが、こういうひと時を共に過ごせるのも「天国」のような喜び、なんですよね。
神様は、その天国を生活の中で感じられるようにしながら、その延長線上にある(本物の)『天国』を探し求めて来られるように切に願っているそうです。
逆にサタンとか悪魔とかは、大切なひと時をも「地獄のような時間」と思うように、悪い考え方を植え付けてきます。
この時間は無駄ではないか?なぜこのようにしなければならないのか?
でも、神様はその環境と状況の中で私たちに気がついてほしいことがたくさんあるんだなって思うのです。その大切なひと時を「大切で貴重に感じられるように」そのことも、メッセージの中のひとつなんだなって感じました。
大切な人と共に過ごせる「天国のような時間」を、最後まで、掴んでいきたいです。