「あいつブサイクじゃね?」
「俺の方がまだましだし」
「まじキモイキモイ」
そんな会話を聞きながら思いました。
そういえば
わたしもブサイクって呼ばれていたな…。
過去振り返ってみると、もっともストレスを受けていた時期は小学生の時でした。
特に小学1、2年生のとき、お姉ちゃんの受験が大変で、家はいつも張りつめた空気でしたし、友達関係においては、幼稚園から続く苦手な友達と同じクラスになってしまい、心苦しい毎日を送ってきました。
「その子の気はいつになったら済むのだろうか?いつ私は解放されるのだろうか?」
そう思っていました。
3年生に上がって、家も少し落ち着き、その友達とも違うクラスになって
気持ちがすぽーん!!!と解放されたのでした(ノ^^)ノ
それで、暴飲暴食に走り、
ものすごく太りました笑
太っていた頃
どれくらい太ったのかというと、ルパン三世がKONISHIKIになったくらい太りました。
顎は二重あご…
太股はパンパンで、
お風呂に入る度に、
お腹の段差を数えていました^^;
3年、4年、5年生くらいがほんとにふとっちょのピークだったんです。
毎日ピルクルを10本くらい飲んではピラミッドにして積み重ね、プリンとゼリーを立て続けに食べ、
おばあちゃん特性のオムレツまで食べました(←夕飯前)
だから、友達から「デブ」と言われることもしばしばありました。
しかし一度ほんとうーにまじめに
このデブ!!!!
と言われたときには、その場で涙を隠しきれず泣いてしまいました。
デ ブ
この一言で人生が崩壊する人もいるのではないでしょうか。
外見だけで全てを否定されるような感じ、私も味わいました。
喧嘩して、最後に罵しられる言葉はやっぱり「外見」でした。。
悲しいじゃないですか。どういうことですか。ブスって、いろいろと関係ないやん!!!
でもその時から思ったのです。
「人は外見がすべてじゃない!!!!」
嫌いだった自分
デブ時代を終えて、中学生になると、不思議なことに普通の体型に戻っていました。
恐らく様々なストレスを3年生のときに解放し、結果デブにはなったものの、心も体は落ち着きを取り戻していたみたいです^^;
しかしいつまでたっても自分は外見に自信がありませんでした。
おしゃれをしようと、服を慕う友達の心が分かりません。
私は服屋さんに行っても、友達の付き添いで来たんですよとばかりのよそよそしさで、服屋さんの前を行ったり来たりしました。
店員に声をかけられたら、「なぜ私に声をかけたんですか!?」(まちがい!?)と思ってそそくさと店の外に出てきてしまうほどでした。
服屋さんの次に嫌いだったのが、美容室でした。髪が長くなる度に、「また髪切りに行かないといけないのか」と絶望にかられました。
ちょっとおしゃれな美容室に行ってくることも、戦場に自ら飛び込むことのように恐れました。
なぜならそういういい感じの美容室には、決まってきれいなお姉さんや、イケメンなお兄さんが働いているから、それが苦痛でならなかったのです。
鏡に映る自分の姿と向き合うことも苦痛なのに、おしゃれな美容師さんと同じ空間にいるなんて耐えられませんでした。
どうせ外見と髪を見て、「いまいちだな」と思っているだろ!!と心で卑屈になりました。
だから中学校も高校も大学生になっても1000円カットから離れられなかったんですね。
最近です、ちょっとしゃれっけのある美容室に行けるようになったのは^^;
そんな自分が嫌いでした。
なんで自分は見た目がこんなにイマイチなんだろ。最大限外見に気をつけたと思っても、周りのおしゃれさんの足の位置にも及びません。
外見がイマイチだと、結局自信が持てないし、心はどんどん卑屈になってドロドロした考えが出てきます。
化粧をしてもイマイチで、おしゃれをしてもイマイチで、考え方もイマイチで、イマイチ定食だったんです。
せめて志一つは高くありたいと思っていろんな夢を抱きましたが、貫いてできたことなんてありませんでした。中途半端で何もやり遂げられない女。
さらに友達からは「おやじ」とばかり呼ばれるし、もう女は捨てたほうがいいと思いました。そのほうがいっそ楽なんじゃないかと・・・。
それで男性にめちゃ憧れていたんです。男性だったらおしゃれしなくていいし、化粧しなくていいから、あらゆる方面から憧れました。なんで男性に生まれなかったの方と、自分を恨むこともありました。
大学二年生までずっとそんな感じでした。小学校から大学生までそんなんだから、心が良い状態でしょうか・・・?
それを良い状態に変えてしまったのが神様だったんです。
御言葉を聞きはじめて最初に驚いたこと
ブスでおやじ系女だった麦わらさんは、外見にも内面にも自信がない状態で大学時代を過ごしました。そんなある日、御言葉を聞くことになりました。
その時御言葉を伝えてくれた人が私に話した言葉が忘れられませんでした。
ある日質問しました。
「私はたいして見た目も良くないし、自分に自信がないんです」と話したことがあるのですが、
その時
「麦わらちゃんはかわいいよ」
と言われ
それがあまりにも衝撃的でした。
え、かわいい?????(誰に言った言葉?!)
と思いました。
でも御言葉を聞いて本当に良かったなと思ったのは、神様が自分に対してどう思っていらっしゃるのかをちゃんと聞けたことでした。
人間の立場だとどうみても外見が素敵じゃないのに、かわいいと言うなんて理解できない言葉です。
でも神様の立場から見ると、私は「最高傑作品」だったのです。
なぜって? 私一人しか自分と同じ形象を持っている人はいないから。
しかし主はサムエルに言われた、『顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る』」。(サムエル記上16章7節より)
これが真理だとわかったとき、とても嬉しかったんです。
学校も、会社も、テレビも、みんな外見の美しさやかっこよさばかりに目が惹かれて、心の美しさにはほとんど目を向けません。
外見が良い、というのは、ひとつのステータスのように重要視されているように思います。でも、外見が良くても性格が悪かったら、いつかは別れてしまいます。
だからより重要なのは「外見よりも内面」です。神様がこの内面を重要視されるというから、とても嬉しくて、私は少しずつ卑屈な心を解き始めました。
御言葉を教えてくださっている先生も、自分があんまりにも「ブ男」で、鏡を割ったという伝説のエピソードをお持ちです笑
でも、神様と出会って、今ではどんな人だとしても受け入れ、理解し、真実に愛で接する最高に大きな心を持つようになりました。だから多くの人が先生から何かひとつでも学ぼうとついてくるようになりました。
キモいとか、うざいとか、くさいとか、デブとか・・・
こういう言葉は、相手を表面的なところしか見ていない言葉だと、私は思うのです。
人が生きて、呼吸をしているからには、親をはじめとした多くの人の愛と真心が注がれています。難しい環境で育ち、人には話せない悩みを持っている方も多いです。
そういうのって見えないから分からないんですよね。分からないから、見えるところで判断してしまうのです。
私も経験済みです。だから、もう見えるところだけで判断してはいけないと改めるようになりました。
報道も、みんな見たとおり聞いたとおりに判断するから、何が真実か分からなくなります。
見た目だけ、外見だけの判断は、自分を辛くさせ、相手を傷つけてしまうから、
内側を見る努力をしてみよう。
私も、どんなときもそのように接する心を持てるようにがんばります!!