外を歩きながら思いました。
私たちはそれぞれ「ひと時の幸せ」を抱いて生きているんだなって。
「ひと時の幸せ」は人によって違います。子どもを育てるひと時(希望)かもしれないし、恋人と共にするひと時かもしれない。友達と遊びに行ったり、食べに行ったりする時かもしれません。幸せに思う「ひと時」はそれぞれ違います。
この幸せを得るために、私たちは一生懸命働いて、お金を稼ぎます。勉強をします。
生活の中のほんのひと時の幸せを得るために、私たちは今を生きているんだなって感じたのです。
ひと時の幸せすらないときは、目標がなくて、苦しいです。希望がなくて、時間がただゆっくりと流れていきます。その時間、がむしゃらにお金を稼いだり、遊んだりする方もいらっしゃると思いますし、何もしない方もいらっしゃると思います。
でも、それはやっぱり虚しくて、辛いことだと思います。
私が今日感じたのは、ひと時の幸せを得るために、今という時間を希望を抱いて生きているんだな、ということをただ感じたというお話です。
私もそうです。
ただ、そのひと時の幸せのために、神様は私達人間を創造したのではない、ということを私は御言葉で学びました。
もっと大きな幸せ、ひと時ではない、永遠な幸せを得るようにと、私達を創造されました。
でも、それは神様の御言葉を聞いて、初めて分かるから、そんなものがあるだろうか!と感じる方もいらっしゃいます。
人生は道端の花のようだという表現もありますが、そうではないです。
もっともっと価値のある「人間」だということを、私は知りました。
人間って私はひどい存在だと思っていました。利己的で、無関心で、自分が良いならばそれが良いとするような、そういう部分って少なからず自分にはあるということを知っていたからです。
だから自分を見るたびに、矛盾ばかりが目について、見たくなかったです。だからすごく、人間って泥臭いなと感じていました。
でも御言葉を聞くと、人間がどれほど尊い存在なのかを、分からせてくださるんです。神様がいかに人間を貴重に創造されたのか、人間の肢体ひとつひとつ、五臓六腑、矛盾なくとても精密につくられた神様は、私達がひと時の幸せではなく、永遠な幸せを得ることを願っていらっしゃいます。
なんとなく、外に出て感じたことでした。