「生きる目的が分からない」
「なんで生きてるんだろ」
「楽しい時間もなくなるから虚しい」
「生きるのもうんざりする」
私は神様を信じていますが、信じるまでにはいろんな過程を経ました。
だって「生きる目的」もわからんのに、どうやって神様を信じることができるでしょうか??
「神様、人間をつくったなら、なぜ作ったのかちゃんと教えて!!」
そう言いたくなりませんか・・・?!
だから簡単に神様を信じることはできませんでした。
人生はなんのためにあるのか、ということを私はそれでもそんなに深く考えたことはなかったかもしれません。
でも、「人生・・・すごく虚しい・・・・」ということは胸に穴がぽっかり空くくらい考えました。
私だけでなく、多くの方が虚しいなって感じたことがあると思います。
とくに「生きる目的」なんて、誰がわかるってんだい!!て感じじゃないですか(TT)
誰かに聞いても返ってくる答えはちょっと似ています。
人間の答え
生きがいを見つけるため
生きがいを見つけたら、人生もっと楽しくなるよ! と言われたことはありますか?
麦わらさん的に「生きがい」=「好きなことをすること」でしたけれども、もしかしたらこの図式も間違っているかな^^;
「生きがい」を仕事に求めて転職したけど激務で<うつ病>になったという方のお話を聞いたことがあります。
生きがいって何なんでしょうね・・・。
自分のやりたいことを見つけるため
今は「やりたいことがない」というお若い方も多いそうです。
やりたいことをやっているとき、とても楽しいですよね!
でも生きる目的がやりたいことをやる、ならば、みんながみんなやりたいことをやれて幸せということですよね。
それなら、現実はあまりに酷です。やりたいことができないことの方が圧倒的に多いのですから・・・。
人生を楽しむため
人生誰もが楽しみたい!アーメン!私も楽しみたい!笑
しかし現実って、楽しいことばかりでないことが多いです>_< 人生の艱難困難をサーフィンをするようにできたら、楽しめるかもしれませんが、メンタル弱い自分には困難でしかないわ!
後悔なく生きること
時間は有限だからこそ、今に未練無く生きることはとても大切ですよね。
今を後悔なく生きるってどういうことでしょう。そして人生はなぜ有限なのでしょう。何のために後悔なく生きるのでしょう。与えられた人生をただより良くするために…?何が後悔のない人生なのか・・・深く考えないと答えが出ませんね・・・。
生きる目的なんてない
一番悲しい答えですね。そして一番不思議な答えです。
どんなものも目的があって生まれるじゃないですか。コップひとつも目的があって作られます。飲み物を飲むためにつくられたんです。
人間はものすごく精密につくられているのに、目的もないんだったら、一体なんでこんな大掛かりにつくられたでしょう・・・・??
肉体も知能も精神も、どんな存在物より優れているのに、生きる目的がないんだったら、コップにも劣る人生です・・・。
そしたらどれほど虚しい人生でしょうか・・・。
他にもいろんな答えがあると思いますが、私達人間同士で考えるには、あまりにもレベルの高い問題ですよね。
正直神様に聞かないと分かりません。
でも、私達、神様についても何も分かりません^^;
だからにっちもさっちもいきません・・・。
では神様の立場から見た時どうでしょう・・・?
神様の答え
目的があってあなたを創造した
神様がもし「ごめん、気付いたらできてた」なんて言ったら、人間よりも無責任ですよね!
そしてとてもバカです!!だって科学的に考えてみても、宇宙、地球、万物を作って、人間が生まれるまでに137億年もかけているんです。
目的もなしに創造したのなら、暇つぶしでしょうか・・・?しかしすごく美しくて規則正しくて・・・一体なんでそこまでしたのか理解ができません。
さらに2000年前にイエスキリストを地上に神様が送ったという記述がありますが、人間によってすごく残酷な殺され方をしました。
その時代、もっとも残酷の処刑法が「十字架」でした。神様が、人間を救おうとして送った愛するキリストをそうまでされてでも、神様は人間に期待し望みをかけて愛し、投資されたことに意味がないのでしょうか・・・?
神様の立場から見ると、「生きる目的がない」という答えは、幼稚園生でも「ちがうきがする」と思います、きっと。
摂理で伝えられた御言葉でもこのことに触れられていました。
どんな人でも、
大統領であれ、財閥であれ、芸能人であれ、一般人であれ、
母親であれ、父親であれ、子供であれ、先生であれ、教え子であれ、
目的がなかったり、目的を失ったり、目的がおぼろげだったりしたら、
心・精神・考えが無感覚になって、「私はなぜ生きるのか」と言って、心が雲のように浮いてしまいます。
人間は誰でも目的を持って生きなければなりません。
私たちが考える目的と神様が考える目的がどのように違うのか?
自分が造ったわけじゃないから、人生を生きる目的を知りません。自分はわかりません。
自分を造り、人間を造った神様が、その目的を一番正確にご存知です。
(摂理の御言葉より)
またこのようにも話されました。
豚、牛、羊、ニワトリなど、動物たちはそれなりに食べて寝て楽しんで生きます。
彼らは生きて、「私たちは遊ぶことが目的だ。食べて寝ることが目的だ」と言います。
しかし、飼い主は「私の考えはそうではない。私がお前たちを育てる目的がある。
お前たちを育ててほふって食べようと、その目的を持って育てる」と言います。
飼い主の考えと動物の考えは異なります。
人々も、この世を生きて、食べて、楽しんで、酔いしれ、愛に落ち、物質と享楽と名誉に溺れて生きて、
「人生を生きる目的は何か。自分の好きなとおりに楽しんで生きることだ。
人生はお金をたくさん稼いで、いいものを食べて、いい暮らしをすることだ」と言って生きています。
しかし、創造主、三位一体の考えはまったく違います。(摂理の御言葉より)
神様が目的を置いて人間を創造した。
この答えが一番、すっきりします。人間の立場からしても、ホッとするし、神様の立場からしてもホッとします。
目的があるというのだから、すごく気になりませんか?
答えは「愛」です。