キリスト教福音宣教会(JMS)は本日、ソウル・汝矣島(ヨイド)に数十万人集結し、世界平和のために祈った。私もその一人。
韓国にはいなかったが、集会の状況を配信で聞いて、共に祈った。
会員の一人として集会の状況と内容について話したい。
これまでの摂理の集会や、流れは以下のサイトに詳しく載っています。
平和のために真実に祈った摂理の集会
汝矣島でのお祈り集会は三部構成で行われました。
第一部では、世界平和と和合のために
第二部では、韓国情勢のために
第三部では、チョンミョンソク牧師のために
切実で涙のお祈りをしました。
…実のところ、切に祈ったのは当日だけではありません。
摂理会員たちは「この日を迎えるため」にもお祈りで準備をしました。
ある人は、深夜一時からお祈りをし、
ある人は、食べるものを控えてお祈りをし、
私自身は、いつも通りのお祈りで迎えました(おい)
でも、当日は本当に熱くお祈りしました。
どれくらい祈ったかというと、うるさいくらいです(何)
世界平和と和合のためのお祈りの前に、
世界各地で起こっている情勢、事件、戦争、
さまざまな現状を改めてダイジェストで流れましたが…
チョン牧師は、いつも先にこれらのことのために祈っていたということを思い出しました。
誰よりも先に、神様に切実に世界情勢のために祈られていたのです。
たとえ場所が
獄中だとしてもです。
私は忘れられません。
10年前、チョン牧師がまだ獄中にいる時、
あの過酷な環境下で、世界のために祈られていた姿を。
時には断食をして祈り
時には死なない程度に食べる節食のお祈りを、
狭い監獄の中でひとり捧げていたのです。
その姿を、日々送られてくる御言葉を通じて知ったから、私は神様を信じることができたし、獄中にいるチョンミョンソク牧師を信じることができました。
二部は韓国民族のために祈りました。
これも、韓国社会のあらゆるニュースがダイジェスト映像になって流れましたが、私は本当に嗚咽をしそうなほど泣いて祈りました。
なぜか。
日本とほとんど同じなのです。
日本の社会問題とほとんど同じで、それに衝撃を受けました。
「神様、韓国と日本はさほど変わりがありません」
そう祈り始めてからは、なんだか泣けて仕方がなかったのです。
若い命が麻薬の取引をし、無差別殺人事件で人が死に、
メディアの娯楽、物質万能主義に溺れて生きる姿は、日本と変わりがない。
根本的な愛を知らないで生きるから、刺激的なメディアに触れて、
一時的な高揚感に時間を費やして生きるばかり…
自分の生きる意味、生きる目的と向き合うこともできず、
あてもなく心を満たそうとして彷徨う現代人の姿…
日本と何が違うだろうか。
私はオヤビンシリーズを書く為に学んだ社会問題のひとつひとつを思い出しながら、
神様の愛を知らないことで起きる多くの問題を考えて、切に祈るしかなかった。
何より、摂理会員みんなで
これらの問題のことのために祈れたこと、本当に良い時間だったと思った。
最後は、チョンミョンソク牧師のために祈った。
チョン牧師がこれまで歩んできた人生を記録した映像を見て、お祈りに突入した。
映像に映るチョン牧師の姿、御言葉の威力…
集会で、信仰スターの方が語られた言葉…
チョン牧師がひたすら天だけを見て讃美する姿…
スポーツでも神様を想い、運動場で若い人たちとサッカーをする姿…
獄中の中でも、絶え間なく御言葉を書き送ってくださり、支えてくれた姿…
いろんな牧師の姿を想いながら、涙で祈った。
きっと摂理にいる会員たちもそうだったと思う。
チョン牧師がそれほど神様の前でも、私たちの前でも真実に愛そうと、実践し行われたから、私たちも切実にお祈りができるのだ。
そうでなければ、どうしてここまで祈れるだろうか。
多くの会員たちが自主的に集まって、祈ろうと思えるのは、
それほどチョン牧師が行ってきたひとつひとつを見たからだ。
性加害なんてできるはずがない、牧師のまっすぐな天に向かう愛と信仰と実践を見たからだ。
神様は、必ず私たちの切なる祈りを聞いてくださっていると信じます。
これ以上不当な裁判がこれ以上進行することなく、
証拠第一主義に基づいた公正な裁判をしてくれるように続けて祈ります。
神様だけが真実をご存じだから、公義にしてくださると信じます。
最後に…
集会の締めくくり、天の前でダンスする人たちの姿を見て、
「ああ、そうだよ、これが私たち摂理の真実な姿じゃないか」と思った。
あのようにして私たちは、いつも神様を讃美し、栄光を帰した。
天の前で喜びを表現しようと、手前から後ろの方まで
ずーっとウェーブする無邪気な人たち。
神様の前で拍手!!「うぇええい!!!」と叫びながら、
私たちはいつも神様を愛して、生きてきた。
摂理の真実な姿であり、
チョン牧師と共に歩んできた摂理そのものだと、しみじみと感じた。