「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。」
かしら石ってどんな石?
かしら石はですね、石がもっとも多く乗る位置なので、重たいし、周囲の圧力に耐えられるだけの石でなくてはいけません。
建物の寸法に合わせてかしら石を選ぶ必要があると言われているくらい、かしら石によって、全体が左右されるんですよ!
先生が教えてくださった「かしら石」の意味
先生がかしら石について詳しく教えてくださったのですが、聞くまではこれほどの存在感を持つ石だとは全く知りませんでした。
なんとなく重要な石なんだろうなあで終わってしまったはずです。
とても神妙な面持ちになったのは、先生が送ってくださったこの箴言を読んだからです。
聖書を読んでみると、
イエス様は「家造りらが捨てた石が隅のかしら石になった」と言った。
<旧時代のユダヤの宗教人たち>を「家造りら」に譬え、
<捨てた石、隅のかしら石>に「イエス様」を譬えて話したのだ。
イエス様は「隅のかしら石」と同じで、その味を出し、香りを放つ。
それなのに旧時代のユダヤの宗教人たちは、まるで家造りらが壁を積み上げている時に形が違う石があって、「お前はここに入る石ではない」と言ってそのかしら石を転がして捨てるように、神様が遣わしたメシヤ・イエス様を正しく見ることができず、違うと言って排斥した。
だからのちに壁を積み上げ終えて大きい柱を建てようとしたが、かしら石がなかった。
主を分かって従う人たちが主をかしら石にしてその家の柱を立て、「新約の家」を完成した。
<この時代>もそうだ。
「かしら石」がどんな意味なのか分かって読むと、ものすごい絶妙な喩えだったんだ、と分かりました。
どんなに巨大な壁を作り、大きな柱を作ったとしても「かしら石」がなければ、ちゃんと立てることができません。
ものすごい労苦をしたとしても、「核」が抜けたらすべてが無駄になるのです・・・。
結局隅のかしら石でもって、新約の家を完成させた神様です。 あんなに批判され、十字架にかけられ、罵倒され殺されたとしても、イエス様を通して結局は完成させてしまいました。
人生も「核」が抜けたら完成することができません。
私たちにとっての「かしら石」とは何でしょうか?
「これが自分のかしら石だ!」と思っているものは、本当にかしら石なのでしょうか・・・。
ある人は自分の考えを「かしら石」にし、
ある人は有名な指導者を「かしら石」にし、
ある人は親を「かしら石」にし、
ある人は恋人を「かしら石」にし、
ある人はマスコミ、ある人は友人、ある人は有名な本を「かしら石」にして生きています。
でも、本当の「かしら石」は、人生という家を完成させます。
違う表現で言うと、こういう話がありました。
「人生は結局虚しい」と話す人は、人生を失敗した人だ。
「人生に感謝する」こう話す人は、人生に成功した人だ。
このように・・・
「かしら石」を何にするのかで、人生の終末が変わってしまうのです。
2000年前のイエス様の話は、現代にも大きな威力を持って心に語りかけます。
この時代もそうだと・・・。
先生は私たちに警鈴を鳴らし続けてくださっています。