仕事の帰り道、1時間に2本しかないバスに、ようやく乗れてホッとしていた矢先、
バスで変な声が聞こえました。
良く聞いてみると、小さな男の子が歌っている声でした。
クッソババ~
クッソババ~
死ねー死ねークッソババ~
麦わらさん、え?と耳を疑いました。
たしかにその小さな男の子が歌っていました。そして隣にその男の子のおばあちゃんらしき人がいました。
おばあちゃんの横に黒のランドセルがあったので、男の子はまだ小学生みたいです。
その子はしばらくその歌を歌って、さらにそのおばあちゃんを叩いたり髪の毛を引っ張ったりして、何かを訴えていました。
隣のおばあちゃんは苦悶の表情を浮かべながら、時々頭に手を当てて痛いといった表情をしていました。そしておばあちゃんも小さな声でぼそぼそとつぶやいていました。
その声が聞こえると、また男の子はおばあちゃんを叩きました。
また靴を履いた足で、おばあちゃんの太股を踏んでいました。
(ちょっと…!!)
と言いそうになりました。
でも、一人の人間の尊さなんて全く知らない子供です。ただ怒りと苛立ちと悲しみの感情だけでおばあちゃんに接していました。
おばあちゃんも、苛立ちと、痛みに耐えるばかりで、構うこともできず、無言でいました。
私はどうしようもできませんでした。
だから祈りました。
どうしてこの二人はこのようになってしまったのでしょう。きっとお互いに理由があるからこんな風になってしまったんですよね。子供もあんなに歪んだ感情を出すのも、何かがあったからですよね。
分からないことばかりですが、私も悔い改めます。この二人が少しでも仲良く平和になりますように。
バス代を払うのはおばあちゃん。
男の子はバス代を支払うおばあちゃんの後ろをわざとぶつかるようにして先に降りていきました。
自分も状況を知らなすぎて胸が痛いし、
子どもも知らないことが多すぎて胸が痛いし、
おばあちゃんも自分のことでいっぱいすぎて頭が痛いし、
この一連のシーン一つで、あまりにももどかし気持ちになりました。
悟りもあまりこないまま、ブログを書いている麦わらさんですが、
小さな頭で考えられることはこうです。
命を愛さないと、
命を蹴飛ばすことになる。
それは相手に対してそうするけれども、
実際は自分に対してそうしてしまっているんだ。
愛がないと地獄だ。
無知が、ひどい悪循環を連れてくる。
自分の次元で相手に接する。
自分の次元が相手に伝わる。
相手は鏡になって自分に接してくる。
この時、次元の高い考えで、一人でも接する人がいたならば、変わるかもしれない。
でも、お互いに同じ水準で接して憎しみ合ったら、地獄のような日常の連続だ。
誰かが犠牲になって伝える必要がある。
どちらかが負けてあげながら、
正しい方向に向かっていかないといけない。
その次元から抜け出さなければ、
同じ苦痛だ。
抜け出したら、天国のような希望が溢れる。
あんなに小さな子供なのに…
あんなに歳を取ったおばあちゃんなのに…
心がこんなにも病んでしまったんだな。
とても衝撃を受けた麦わらさんでした。