<自分自身>が神様と聖霊様と御子に
とってどれほど必要な人なのか悟りなさい。
そうしてこそ、三位一体にぴったりくっついて行なうようになり、
そうすることで害を受けず、三位一体も貴重にお使いになる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
私たちは「神様」について考えるとき、ふとした瞬間「神様助けて!神様!」と呼ぶような存在ではないでしょうか。辛いとき、大変な時になってはじめて「助けて!」と呼ぶ対象。たいていの人がそのような認識だと思います^^
ところで、この箴言を読むと新鮮な発見があります。
「<自分自身>が神様と聖霊様と御子にとってどれほど必要な人なのか悟りなさい」
この箴言は、三位一体にとって自分がどれほど必要な存在なのか、について書かれています。こういうこと、考えたことありますか?
そもそも三位一体は全能者なのに、どうして1秒先も分からない小さな人間が必要なのでしょうか?
鄭明析(チョンミョンソク)先生はある聖句を引いて答えてくださいます。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである ヨハネによる福音書 4章24節
私たち人間は肉体をもった存在です。だから地球上で息をして、食べなければ存在できません。しかし、神様は「霊」であるから、「肉」とはまったく異なる次元で生きていらっしゃいます。肉である私たちからしたら、「霊」のような見えない存在についてあまり考えません。目に見える問題ごとで頭がいっぱいだからです。
しかし肉がない神様の立場からしたら、「目で見えることに頭がいっぱいな人々」に対して、どれほど胸を焦がしているでしょうか。肉体があれば、直接目の前に現れて、人間の言葉で「○○してはいけない。それをやったら危険な目にあう」と伝えられるでしょう。しかし「霊」だとそれができません。
あなたを造られた者はあなたの夫であって、
その名は万軍の主。
あなたをあがなわれる者は、
イスラエルの聖者であって、
全地の神ととなえられる。 イザヤ書 54章5節
ましてや神様は、人間に対して「私は夫だ」と話しています。地上にいる人間たちを愛する恋人のように思って一日中見守って入らっしゃいます。そんな私たちに身の危険が迫るとき、どれほど警鐘を鳴らして叫んでいらっしゃるでしょうか。血が出るほど叫んでも、肉体の耳に直接聞こえることはできません。
そういうとき、神様の代わりになって叫んでくれる人がいたら、どれほどありがたく思うでしょうか。「肉」を持つ私たちであってこそ、神様が願っていらっしゃることを成して差し上げることができます。
鄭明析(チョンミョンソク)先生ははじめにこのことについて深く悟った方です。神様がどれほど私を必要となさっているのか、自分がどれほど大切な存在なのかについてはっきりと悟られました。だから先生は今も神様の御言葉を叫び伝えていらっしゃいます。神様がなさりたい生を生きるために続けてもがいていらっしゃいます。
私たちも、どれほど神様が願ってひとりひとりを育ててこられたのか、知る必要があるのだなと思います。こうして生きているのも、聖三位が守ってくださったからであり、聖三位のためにして差し上げることがあるからです。
自分がどれほど必要な存在なのか、ぜひ聖三位に尋ねてみてくださいね(*^_^*)