最近聞いたニュースですが、26歳の若い女性が84歳のおじいさんをナイフで複数回刺したそうです。その理由も「モヤモヤしていたので、刺した」そうです。どうして「モヤモヤ」程度で人を「刺す」までするでしょうか。これほどにも、私たちは自分の感情を処理することができなくなっているし、それ以上のことを考えられなくなっています。
向き合わなければならない問題が多い現代社会
私たちの身の回りには、考えの範ちゅうを超えたニュースがあまりにも多くあります。それも度が強すぎて、もう人間では処理しきれない程です。だから私たちはどこをどう何に原因を問うたらいいか分からないし、解決策が見当たりません。。
どんなに良心に響くように公共的に訴えてみても、なかなか人の心は動きません。「そうしなきゃ」と思っていても、普段の生活から何かを変えてみようとアクションすることができません。自分の身の回りに危険が起きてはじめて「考えないと!」と思います。しかしそれでは未然に防ぐことができません・・・。
鄭明析(チョンミョンソク)先生はこういった社会情勢についてすべて祈っていらっしゃいます。それも自国の問題だけでなく、全世界について祈っていらっしゃいます。結局これ以上人間だけの力ではどうすることもできません。神様に切実に求めて祈ってこそ、状況が傾き、善なる方向に向かいます。
先生はこのようにおっしゃいます。
原子爆弾よりもっと恐ろしいのが「祈り」だ。
求めるときどうして(神様は)くださるだろうか。
私たちの力では絶対に解決できないから、くださるのだ。
原子爆弾よりも恐ろしい、と表現するほど、鄭明析(チョンミョンソク)先生が実感されたお祈りの威力。神様がともにしてくださるからこそ、不可能なことも「可能」になるのだとおっしゃいました。私たちにはどうにもできない問題も、あきらめていた問題も、モヤモヤしていることも、一度「神様」に願い求めてみてください。必ず、神様は答えてくださいます。
お祈りは「関心」だ
私はお祈りをするようになって思いました。お祈りは「関心」なのだなと。
私は自分のためによく祈りますが、自分のために祈れることも祝福だと思います。自分を大切にできなかった人ができるようになるし、お祈りすることで、自分の存在価値について悟ることができます。まずは自分のためにお祈りすることです。自分に関心を持ててこそ相手にも関心が持てるようになるし、自分を愛せてこそ相手を愛することができます。
先生は世界のために祈っていらっしゃいますが、つまり、世界について「関心」があるからこそ、世界について祈れるのだと思います。私ももっと自分という枠を超えて、家庭、民族、世界のために祈れるようになりたいです。そのためには、もっと世界に目を向けて、関心を払ってこそ、何をお祈りしたらいいのか見えてくると思います。
インドも今熱波の影響で大変なことになっていますよね・・・。日本の地で直接できることがないのですが、せめてお祈りで少しでも良くなるように願い求めます。
今社会に必要なものは、お金でもなく、最新技術でもなく、愛と関心だと思います。お祈りすると必然的に関心が向かいます。だからお祈りが本当に必要だと思います。
よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。 マタイによる福音書 18章 18節
地上で一つになってこそ、天がともにしてくださいます!祈り求めてがんばりますっ!