子供に勉強を教えている親がいました。
その様子を見ながら、とても胸が苦しくなりました。
「なんでそんなのもわからないの」と言いながら、まくしたてるように、これはこうだからこうだろ?と伝えている姿でした。
子供も少しイライラしながら、そしてパニックになりつつ問題用紙と向き合っていました。
麦わらさんも過去、勉強がとても嫌いで、向き合いたくない気持ちがありました。
勉強が苦手というよりは、勉強や理解が遅いとイライラされることがすごく嫌でした。
「なんでこんなこともできないの?」と言われると、すごく辛くて、自分ができないことが恨めしくなりました。
相手にとっては「理解できる」けれども、理解できない方は分からないから辛いし、怒られて、パニックになります。
勉強ができないことが、自分自身を卑下させ価値を失わせること のように思いました。
勉強ができなくても、その子はその存在だけでもとても大事で、貴重なのに・・・
先生が御言葉を伝えられる時、相手をけなしたりまくしたてたりはしないで、ひとつひとつ理解ができないことも何度も何度も教えてくださいました。
決してイライラすることはなく、
相手の立場に立って、理解ができるように様々な比喩を使いながら、教えてくださいました。
あの場所で手が擦り切れるほど御言葉を書き続け、また書き続けて、10年間もの間御言葉を伝えてくださっていたのですが、
むしろ自分の価値がどれほど大事なのかを教えてくださったし、できないことで辛く落胆している人を立ち上がらせ、やろうとする気持ちに火をつけ行えるようにしてくださいました。
だから会っていなくても、御言葉で私の人生を支えてくださいました。
まくしたてられ、理解できないことを馬鹿にされ、時間がないと焦らせ、できないことを指摘ばかりされたら、誰だって腹が立つし、悔しいし、辛いし、自分なんてと思います。自分を否定したくなります。
自分がどれほど愛されているのか、どれほど価値があるのか、それを教えてくれる人はいません。
「神様があなたを愛し、いつも隣で助けてくださっている」
先生はいつも神様のことを伝えながら、神様がどれほどあなたを愛しているのか、伝えてくださったんですね。
本当に大切なことは、自分がどれほど愛されているのか、その愛を知ることです。
その愛がわかれば、相手にも、大切な人にも、愛で接することができるから。
・・・・・・・
実はこの話には続きがあります。
神様が私の心を興奮させて、自分ではできないことをしてしまいました。
神様は本当に、命に愛を伝えたいんだ。