最初イメージしていた「鄭明析先生」というのは、あまりにも漠然としていました。
「山で祈られていた、というから、すごい白いひげがびょーんと伸びたおじいちゃんなのかな?」
それでいて、ものすごく崇高で、イメージとしては仏様?的に思っていました。
しかし、実際鄭明析先生を見てみると、「あ!全然違う!」と衝撃を受けます。
先生の魅力は様々あり、男性は特に鄭明析先生の言動を見ると、心が鷲掴みにされるみたい。
同じ男性だというのに、ほとんどの先生の方が歳上なのに、その行動力と、天に仕える精神と、体力には驚きを隠せません。
じゃあ先生はスーパーマンか?というとそうではありません。
私は御言葉を聞いて結構経ったにもかかわらず、鄭明析先生に関心を持たない時期が割と長かったと思います。
でも、自分の認識が変わったら、「なんか思ってた人と違うな!」「すごいこの部分が共感できるな」と、思うようになりました。
先生が話した御言葉の中にこんな話がありました。
小学校まで3500メートルくらいありました。学校に行くとき、少し遅れるときがあります。そうすると、サボりたい気持ちになりますよね。
それで行こうか行くまいか長い時間悩みました。今行ったら遅刻なんだけど…。
しばらく迷っていました。
しばらく迷ったということは、それから10分から15分くらい経っていたと思います。
今から行ったら授業中、教室の後ろから入らないといけない。そしたら1時間目がおわって、休みの時に入らないといけないんだけど。
そうしたらもう出欠をとった後だから、行くのを辞めようかな。そのとき家に帰ろうと思って考えたら「勉強するために行くんじゃないか!出席のために行くんじゃない」と思って
走っていきました。そしたら30分遅れてつきました。
その日とにかく行きました。ドアが開いていました。「出席は?」といったら「まだ呼んでない」といいました。「なんで?」と言ったら、
「先生が教務室から出席簿を忘れたといってぶつぶつ言っていた」と言いました。
「次の時間に出欠をとろう」と言った。その日は次の時間1時間が終わってから出席をとりました。
このときも神様とイエス様が共にしてくださったのです。行こうかどうしようか悩んでいました。イエス様はおっしゃいました
「遅れたら遅れた通りにすべきではないか」
子供の時に学んだ通りに「遅れたら遅れたとおりに」やりました。
この御言葉を聞いて、すごく笑いました(笑)
ああ~すごいわかるなあ~!
わたしも遅刻を身をもって体験したことがあるから、とてもおもしろかったです。
大幅に遅れるならばともかく、【少し】遅れたときがすごく悩むんですよね(^^;)
先生はものすごく崇高というよりも、私達が普段ぶちあたる些細な問題も経験済みで、
私達が思いもしない様々な問題も経験しています。だから人の気持ちをくみ取るのが本当に上手です。
何より先生は生活の中で、「このようにして神様が教えてくださったよ」と話してくれるので、
私にとっても神様がどれほど近い存在なのか分かるようにしてくださいました。
何でもできるスーパーマンというよりは、そいういう大変な問題があっても神様と共にして、
乗り越えてきた経緯ひとつひとつに、純粋に感動します。
子供も大人も、どんな年齢層でも親しい鄭明析先生の魅力は、語り尽くせません(^_^)