ミコトバ

神経を使うほど「神」になる?!


私たちは普段、さまーざまなことに神経を使っているみたいです。

<基本的な生を生きる人たち>は、一日に神経を使うべきことが30はあります。

勉強する学生たちは、「神経を使って勉強すべきこと」だけで数十通りです。

会社員たちは「神経を使うべき書類」が数十、数百です。

ましてや<自分のすべきこと、健康、安全、信仰>まで神経を使う人たちは、どれだけ多くのことに神経を使って生きるべきでしょうか?

<信仰>だけでも、祈り、讃美、感謝、御言葉など数十通りです。

<神経を使うべきことの数が少ない人>はそれだけ動かず、寝て生きている人です。(摂理の御言葉より)

うむむ、、

さて、私はどんなことに普段神経を使っているのか項目に上げてみようかと思います。

 食べること

すごい神経使ってますね笑
特にお昼どこで食べようかとか、仕事の後に礼拝があるときは、何で夕飯を食べようかとか、なんとか野菜を食べるにはどうしたらいいかとか、、食べることだけで10個くらい考えるかもしれません^^;

 時間

社会人としても信仰人としても、時間には神経を使います。
普段営業をしているので、何時にどこにいればここまでに間に合うのか。その為には何時の電車に乗ればいいのか、とか、営業の時間だけでも数十通りあります。

また、お祈りする時間をどの場所でどう確保するかとか、明け方のお祈りをするために何時に寝て、夕飯はその前の時間にどこで食べるかとか(また食べもの(´`:))

時間に関してはかなり神経を使っているのが分かります。

 人間関係

挨拶すること、返事、表情、どう話したら良いのかなど、いろいろありますね^^;
仕事だけでなく、家族にも、教会のメンバーにも、優先席に座っちゃった時にも、場面ごとに(知らぬ間に)神経を使っているんだなあと分かりました。

 仕事、使命

私の仕事はもろに個人情報のリスクがかかる仕事(原本を普段から持ち歩く)ので、毎回身の回りのチェックが欠かせません。
しかも紙面で持ち歩いたり、管理をするので、ペラ一枚なくさないために神経をつかって管理します。
また依頼一件一件、どういう状況になっているのかも管理しないといけないので、神経をもっと使わないと、管理しきれないなあと感じています。

教会の使命も、やっていること、天と約束したこと、やらなければならないことが多様にあります。
使命という名がつかない細かいところまで入れると、50以上、100くらいあるんじゃないかなあと思います^^;
すごいことでっせ。

 信仰

普段の生活の中で、お祈り、讃美、天との対話、雑念が湧く度に「雑念、サタン退け!」と言うこと、感謝すること、考えを空けること、御言葉読むこと、聖書読むこと、隣に主と聖霊様が共にされていることを意識することなど、これまたたくさんありますね^^;

 日常的なこと(健康、姿勢、お肌の管理などなど)

私は普段歩くので、それに甘んじでしっかり運動をしていないのが痛いところ、、。
姿勢も瞬間シャッと整えるのですすぐ曲がってしまい辛いです(猫背です…)
お肌はこの時期乾燥するので、馬油を塗りたくっています。

他にも歯を磨くこと、歯や体の定期検診に行くこと、爪を切ること、服装、

また国に支払うお金のことや、冠婚葬祭の連絡やら、お部屋のお掃除やら

 

なんてこった!!
やることがこんなに!!(ノД`)

 

御言葉を聞きながら思いました。

神経を多様に使う分だけ「神」になるのだな。

それだけ多くのことを治めるから、神のようだな。

不思議なことに「神経」という字には<神>という文字があります…!

神経を心配不安憂いに使うのではなく、自分のすべきところ、神様に向かうところに使うならば、本当に多くのものを治める神のようになるのではないでしょうか。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]