「永遠の愛」はあると思いますか・・・?
「永遠に愛し合おう。」
過去にドラマを見て、「永遠」に契を交わすシーンをたくさん見ました。私はあまり恋愛に興味がなかったですが、こういうことは考えました。
「本当に愛してくれる人はいるのだろうか?」
永遠な愛はあるのか
自分を受け入れてくれる人はいるのか
見た目に比べて結構さみしがりやな一面がある私。心がうつむき加減になると、受け身になって、漠然とした不安に教われました。
「私のことを全部認めて受け入れてくれる人はこの世にいるのだろうか?」
私はとても慎重なタイプで、人に自分の心を簡単に打ち明けることができませんでした。
なぜなら「もし相手に話して自分の心を分かってくれなかったらどうしよう」と考えたからです。だから、言いたいこともなかなか言えず、相手の話ばかりよく聞いていました。
大学生のとき、アルバイトをしていたのですが、そのときに少し好意を抱いた人がいたんですよね。でも、その人に好意を抱きながらもあまり心を開かないようにもしたのです。
なぜなら、
自分が心を開いて話して、受け入れてくれなかった時、自分が傷つくからです。
傷つくのが怖い
傷つくのが怖いなあと思うときは決まって、気持ちが塞いでいるときでした。
自分に自信がなくなってしまったとき、誰かと比較して優劣をつけてしまったとき、誰にも分かってもらえなくて、一人で辛さを抱えているときでした。
傷つくことを怖がると、一歩も前に向かうことができなくなります。心が萎縮して話したいことも話せないものです。
さて、社会人になるともっと人を信じられなくなりました。なぜなら学生の時より傷を受けることが増えたからです。
自分は信頼していても、相手は裏で悪口を話していた。そんか経験が増えたのです。。
理不尽に怒られることも増えました。
相手の良くない感情が見えることも見えてしまい、考えているだけで頭が痛くなることもしばしば。
そういう経験をする度に
「ああ、人間ってめんどくさいな。どうでもいい。なんでこんなことを考えているんだろう」と放り投げたくなります。
あまりにも関わると自分ばかりが傷を受けるから、一生懸命やっていたことを全部やめたくなりました。
そして傷つけられたくないという想いから、だんだん人を遠ざけ、信じられなくなりました。
愛はテクニックなのか?
麦わらさんも昔は片思いをしたことがあります笑
でも片思いって疲れません?^^;
なんというかあの、心理戦・・・??笑
相手の態度や言葉で気持ちが上下に揺れるので、そりゃあもう疲れました^^;
こういうときは、よく恋愛心理本なんて読んでしまうのですが、読むとさらに疑心暗鬼します。あの場面ではどう思っていたのだろうか?もしかしてこう考えていたのか?・・・とあれやこれやといろいろな考えが浮かぶのですね。
またこういう本を読むと、恋愛って戦略的みたいで嫌になりました。オトコ心とかオンナ心とか、お互いに掴んであげたり離れてみたり、相手の心を惹き付けるテクニックなんかが書かれてあるのです。
愛ってテクニックなのかな・・・
そう思うと自信もなくなりました。私は真実に、しんじつ〜〜に愛し合う”愛”があってほしいと思っていたから、こういう愛の巧みなやりとりなんかを聞くと、すごく神経がやつれました。
理想の愛の形って?
大学生だったとき、だんだんと「愛」がどんなものなのか、よくわからなくなりました。
理想の愛は、おじいさんおばあさんになっても、お互いを尊重しあえる関係。また最後まで支え合える関係でした。おじいさんおばあさんになっても腕を組み合えるような、お互いに信頼しきった状態。これが麦わらさんの理想の愛の姿でした。
これもドラマから得た理想の愛でした。心理戦の愛ではなくて、もっとこう、熟された愛というのでしょうか・・・(´・ω・`)
友達にはよく「恋愛時期をすっとばして老年の夫婦になりたい」とぼやいていました笑
理想の愛にたどり着くまでには、長い時間がかかるようでした。私にそんなパートナーがいるのだろうかと心が落ち込む度に想いました。そういうとき、出会ったのが神様だったんです。
永遠な愛はあると断言できる理由
私は永遠な愛はないと思っていました。
人の心はコロコロと変わるもの。
いつかは冷めてしまうものだと思ったからです。
さらに極端なことを話すと、人はいつか死んでしまうから永遠なんてないだろ←
( ノД`)
どちらかが死んでしまったら、相手を想う愛は、自分だけが心で抱いているから、寂しい愛だと思います。
もし永遠な愛があるとしたら、考えられる愛って
「どちらかが亡くなっても、最後まで尊敬し、愛を守ること。」
なんじゃないですかね(ーー;)
私達、愛の限界線がどうしてもありますよね。死という限界線があるから、どんな〜〜〜に最後まで愛しても「永遠」までは残りません。
ー神様、どうして人間は死ぬようにしたのでしょうか?
ーもし死がなければ「永遠の愛」は存在するのではないでしょうか・・・?
でも神様、聖書にはこんな聖句があります。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。(伝道の書3章11節抜粋)
な ぜ ・・・・?
と思いませんか^^;笑
だって人間は死ぬのだからそもそも永遠を思う思いなんて必要ないじゃないですか・・・・?
なぜ人間に「永遠を思う思い」なんて授けたんだ??と思いませんか^^;!?
苦しいからそんな思いを入れるのやめてっ!て思います。
でもそうじゃなかったんです。
実は「人間は永遠に愛することができる存在」だったのです!!
問題は「誰を愛するのか」でした。
聖書の中でもっとも有名な聖句があります。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 」
(マタイによる福音書22章37節)
これが第一のいましめだ。
と聖書に書いてあります。
第一、なんですよね。
第二は神様を愛するように隣人を愛しなさいという御言葉です。
神様はどんな方でしょうか。
山がまだ生れず、
あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、
とこしえからとこしえまで、
あなたは神でいらせられる。(詩篇90編2節)
とこしえから、とこしえまで神様でいらっしゃる。
つまり神様は永遠な存在なのです。
私達が愛する対象が「永遠」ならばどうでしょうか。
神様は永遠の存在でいらっしゃるから、今まで死ぬまで捧げた愛も神様が永遠に覚えていらっしゃるんです!
あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。 (イザヤ書54章5節)
旧約聖書にも「あなたを造られた者はあなたの夫」だと書いてありますが、びっくり仰天ですよね!!( ; ロ)゚ ゚
神様が願っていらっしゃるのは、人間を新婦にすること。つまり<愛の対象体>になることなのです(゜ロ゜)!!
この聖句の他にも、いろんな比喩で私達人間を「女や花嫁」として喩え、神様を「夫や新郎」として喩えている聖句があります。
神様との愛、これが唯一の「永遠な愛」なのです。
もっと詳しく読みやすい感じで、神様についてまとめてます(*^_^*)