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「儚く虚しい人生」をゲームから学んだ経緯

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「虚しさ」をテーマに書き綴ってみていますが、今日はまた違う観点から書いてみます。

儚く虚しい人生をゲームから学んだ

私はゲームが大好きでした。一日に5、6時間やっても飽きませんでした。特に流行っていたのが「戦国無双」「三國無双」という歴史ゲームと「メタルギアソリッド」シリーズ。スネークがおじいちゃんになるところまでやりました(知っている人は「あ〜」てなります笑)また、「ニーアレプリカント」ではものすごい神ゲーに出会った!と興奮していました。(知らない人は知らなくて大丈夫です)

そんなこんなでゲームが好きだったんですけれども、好きな分だけ、ゲームからも「儚さ」「虚しさ」を感じることがありました。

貧しい農民のせがれから、一躍、天下人に上りつめた男、豊臣秀吉。世界史をひもといても、彼ほどの成功者は少ない。
立身出世の鑑、庶民の憧れの的として、根強い人気がある(朝鮮半島では、秀吉は極悪人)。私たちが、「これがあったら幸福になれるだろう」と思っているものを、すべて獲得したような人物である。
しかし、秀吉は、最期に意外な言葉を残している。
「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった、との告白。彼の辞世は、何を意味しているのだろうか。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

この言葉が、戦国無双というゲームの中にも出てきたんですよね。豊臣秀吉の言葉ですが、秀吉のゲームのシナリオを通して儚さの疑似体験をしました。下から上に這い上がってきた豊臣秀吉。すべてを得たように思えたけれども、結局最期は「儚さ」を語って生涯を終えました。

私はとってもそのゲームの豊臣秀吉が好きだったんですけれども笑 そのエピソードに携わるキャラクターもみんな好きだったんですね。でも、その秀吉に関わる人達の最期は、なんか結構虚しい感じで終わるのが多かったんです。ハッピーエンドにはならない話。裏切りの多い戦乱の世で、心を許せる友達一人作るのも難しい時代じゃないですか。手に入れた富も、死んだら何も残りません。死が近い分だけ生きることの大切さを教えてもくれましたが、根本的に「虚しい」ということを感じるばかりでした。

また、ニーアレプリカントというゲームは、「虚しさの塊」みたいなゲームでした。このゲームに出て来るどのエピソードも、人の死がとっても深く脳に刻まれます。非常に物語の背景が難解なので、あまり覚えていませんが、感情移入した人物がどんどんどんどん消えて亡くなっていくから、その度に「うわあ。」となって心にぽっかり穴が空く気持ちになりました。

書いていると、昔をいろいろ思い出してきました。いかんいかん、今は2017年だ。あのときは2010年。まだ摂理について何も知らないときでしたね。

そんな感じでいろんなゲームをたくさん遊んでいた麦わらさんでしたが、だんだんゲームに限界を感じるようになりました。極めつけはニーアレプリカントという先程紹介したゲームの”本当のエンディング”なんですけれども(いらんネタバレ挟んで申し訳ないのですが)このゲームの本当の結末に至ると、「すべてのゲームのデータが消えてなくなる」んですよね。つまり、自分が投資した分のすべてのデータが消えてなくなるんです。ものすごい設定ですよね。ちゃんと物語的にもわけがあってそうなるんですけれども。

そのとき、投資したゲームの時間=全部死んだ時間 になってしまったんです。これは文字通り、ゲームの流れ的にも「自分が死ぬ」というエンディングなんですけれども、同じく私の時間も全部死んでしまったんですよね。それで、コレ以上のゲームはないなと思って、最後にやったゲームはこれが最後になりました。

時間が全部「無」になる体験を、神様が隠密に体験させてくださいました。この時私は御言葉を5つほど聞いていたときでした。御言葉はむしろ「無」ではない「永遠の人生」について教えてくれました。今生きている時間が、すべて無駄にならない生き方ができるということを学びました。自分には霊がいて、神様を永遠に愛して生きる生があるのだということを聖書で明らかに教えてくださったのです。

だから、ゲームと比較になりませんでした。ゲームが私に教えてくれたのは「虚しさ」でした。本当にそうでした。どのゲームをやったとしても、最後は終わりがあります。終わりがないゲームもありますが、私は終わりがないゲームが好きではありませんでした。でも終わりがあるゲームの最後は、いつも心がぽっかりする気持ちだけでした。「あー楽しかった」「もう終わっちゃったな」「あぁあ」・・・そういう気持ちでした。

空虚で儚くて、楽しかった瞬間が、最後は全部消えてなくなってしまいました。もちろんゲームだからいくらでもできます。またはじめからスタートすることもできます。でも私は、最後を知ったなら、それ以上やりこみたいとは思いませんでした。

終わりを迎える度に私は思いました。「私は今何を得たのだろう?」と。

そして終わる度に私はノートにまとめました。今このゲームをやって何を得たのか?ということをまとめていたんです。

とくに感動したゲームは、そのゲームが伝えたかった意図みたいなものを汲み取ろうとしました。ははは、何やってるんだよって感じですよね笑

でもそのときの自分は、「なんとかして何かを得たい」と切実でした。ゲームだとしても、何か深い、根本的な真理がないか探していたのです。普通じゃないかもしれませんね。でもそれくらい、求めていました。人生を変えたかったのです。世界を変える何かを探していました。昨日書いたように私は社会で起こる様々な事件を見ながら人生について深く考えるようになっていました。

私なりに現状を打破する何かを示せる人になりたかったのです。

結局その心を神様が一番ご存知でした。

まるで虚しさの極地で、崖の下を見ながら「ああ、この下に行ったら何もないんだな」と思っている私を、虚しくない場所へ行けるように神様は後ろからギュッと抱きしめてくださいました。そうではないのだと教えてくださって、もう崖の下を見ないようにしてくださいました。

今はゲームをまったくしていません。今を生きることの大切さをはっきりと教えてもらったから、ゲームをする必要はなくなりました。今を生きることがあまりにも貴重だとわかったから。ゲームを通して虚しさを学ぶ時間は卒業してしたみたいです。

絶対にみんな感じているはずです。ゲームを始めるときはワクワクするけど、終わるときは”虚しい”なって。人生も同じです。まるでゲームみたいに、いろんな選択肢がある人生じゃないですか。でも終わりになって、自分のエンディングを迎えた時、まるでゲームのエンディングを迎えるみたいに、終わったらすっからかんです。ゲームは面白かったな〜で大半が終わりますが、人生の終わりは「面白かったな〜」で終わりません。ほんとうに虚しい世界が永遠です。

今日はゲームを通して「虚しさ」を語ってみましたが、ものすごい分量になってしまいました^^;

まるで虚しさのセンターを走る主人公のごとく虚しさについて書けてしまうから、本当にありがたいことだと思っています笑

なぜならこの虚しさを覚えているから、摂理に来て、あまりにもありがたく、感謝して生きることができます。何があっても神様と共にする人生が、一番最高に虚しくない人生です!

いつもクリックありがとうございますT_T

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麦わら
演奏することと、絵を描くことが好きです^^ 楽器はカホンを叩いています。普段はあまり大きな声を出しませんが、讃美するとすごい発声が良くて自分で驚きます^^;摂理の多様な”味”を毎日発信♪

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