摂理には本当に優秀な人たちが多いです。
芸術センスが抜群の人、説教が上手な人、仕事が早い人・・・
本当に熱心に頑張る人が多いと思います。
しかし、摂理のエリートは世間一般的に話すエリートとは少し違います。
一般的なエリートというと、一流大学を卒業して、一流企業に勤めている人を差したり、能力があり、頭脳が明晰、それゆえに医者や官僚や財閥家のような、地位の高い職種なんかをイメージしますよね。
しかし摂理人たちは何か優秀な実績があったり、肩書きが優れているような、そういうエリートというよりは、
心のエリートたちが多いのです。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。 テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節
たとえば、遠足当日、天気予報がずっと雨だったとして・・・当日雨から晴れに変わったとしたら、もうお祭り騒ぎです(笑)女性も「きゃーーー」と喜び感謝し、男性も「うおーーー」と歓喜します(笑)とにかく、小さなことでも喜んで感謝する人が多いですね(*^_^*)摂理に来る前は良くても「お、ラッキ~」程度にしか思わなかったんですけどね。
最近はこれ、見ましたか?
私は月明洞で1回、また本日横浜にて1回見ました。
日暈(ひがさ)と呼ばれる現象だそうで、摂理人はこれを見て大変喜んでいました(笑)
摂理に来る前まではあまり気にもしませんでした。
こういう現象を見ても、「わあすごいなあ。自然は神秘的だなあ」と思うのが限度だったし、「不吉な前兆だ」と言われるとそうとしか思えませんでした。
しかし神様を知ると、「ああ、神様が愛してこのように状況を変えてくださったのだな」と思ったり、「私に何か見せてくださっているのだな」と神様の立場でいろいろと考えるようになります。
鄭明析(チョンミョンソク)先生は天気が晴れても雨でも神様に喜び、讃美を捧げます。いつでも感謝する精神は、先生から教わりました。
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 ローマ人への手紙 5章3~4節
また、摂理人は非常に忍耐力に優れています。
なぜなら、耐え忍ぶことが決して理不尽なこととは思わないからです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む、という言葉の通り、私たちは何か大変なことがあっても、不平不満がふと出てきそうになるときは、もちろんありますけれども(笑)それでも忍耐します。
忍耐は決して悪いことではないと知っているし、忍耐することを通して自分がもっと成長し、変化できると知っているからです。
鄭明析(チョンミョンソク)先生は、何もなかったところから、努力と忍耐の連続で希望を成した方です。
月明洞を見れば、その実態が目に見えて分かります。雑木林がつらなるなにもない山奥が、聖三位を讃美する自然聖殿になりました。
先生がやろうとおっしゃらなければこのようにはなりませんでした。
ただ神様に思う存分感謝と愛と讃美を捧げられるような場所を求めて、このように聖殿を開発されました。
心がエリートならば、行いもエリートになりますよね。
摂理人たちは、そういうところにいつももがいています。
肩書きや、外的に優れていることももちろん素晴らしいことですが、まずは心が喜んでいるのか、不平不満で満ちているのか、悪口を言っているのか、いつも肯定的にとらえられているのか、その部分がもっと大きいのです。いくらお金持ちで奥さんもいて境遇に恵まれたエリートだとしても、塵一つのような出来事で血気する人は、本当の意味でエリートと呼べないと思います。
摂理は心が喜んでいるから、希望であふれています(*^^)これからは心のエリートから、行いのエリートへ羽ばたきましょう!