「信仰」について語ろう。
さて…
私にとっての
「信仰」のイメージは、
<心の弱い人がすがるもの>
というイメージでした。
(  ̄_ ̄)
しかし、
自分が信仰を
持つようになると、
信仰は
<心の強い人が続けられるのだな>
と思うようになりました。
人は誰でも何かを信じ
頼らなければ生きてはいけません。
過去
私も漠然と
自分にすがって生きてきました。
(  ̄_ ̄))
しかし人は環境と状況が
変わるごとに
毎日グラグラします。
当時、大学生で、
青春真っ只中だった私も
歯茎が弱いおばあちゃんの歯みたいな
グラグラした心を持っていました。
(((・皿・)))
だから自分には限界があることが
分かりましたし、
人にすがるというのも
積極的にはしませんでした。
次第に私の大きな拠り所は
「神様」になりました。
わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。
わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。
強く、また雄々しくあれ。
ヨシュア記? ?1?:?5-6? 抜粋
神様は目に見えませんが
御言葉で現れてくださいます。
有名なこの聖句も、
ヨシュアに神様が
「雄々しくあれヨシュアよ!!
モーセと共にいたように、
私があなたにも共にする!!」
(# ゚Д゚)
と愛で鼓舞してくださっているのですが…
「え?神様、こんな私に共にしてくださんるですか?」
「するよ」
「嘘だ~!私なんてすぐ死んじゃいますよ」
「私が守るから」
「信じられないなぁ。見えないし。
死んだらホントどうしよう…」
なんてナヨナヨしてたら、
神様も守ってあげたくても、
守ってあげる力が発揮できません。
見えなくても信じるっっ!
アーメン神様が守って下さるっ!!
という強い心が
「信仰」には必要なのだと思います。
実際私も摂理に来てから
心が強くなりました。
神様を信じることで、
行う強さも身につきました。
鄭明析(チョンミョンソク)先生の話も
みんなそうです。
先生の力は御言葉を信じて
最後まで実践する力。
過程の中では大変なこと、
うまくいかない状況が多いです。
けれども、
絶対に信仰を最後まで守って、
御言葉を信じて行うことで、
先生がどれほど多くのことを
成し遂げてきたでしょうか…?
信仰をやめたら、
結局のところ何も信じられません!
それならば、神様を一度
真剣に信じてみてください!
(*`皿´*)ノ
やっぱり信仰は
やめられませーーん!