日常

神様が演奏させてくださったから自信が持てた〜音楽の真のたのしみ〜


私は幼稚園から今に至るまで音楽と離れたことがありません。

音楽は、私の心をいつも興奮させました。

お姉ちゃんがマーチングに通っていたのを見て憧れて、私もマーチングに通いました。

旗を持って回したり、ボンボン(チアが持っているようなわしゃわしゃしたやつ)を振って踊ったり、

シンバルを叩き、カウベルを叩き、スティックの持ち方を学び、ついにスネアを叩き、3つの太鼓が連なっている(当時は三連と呼んでいました)楽器を叩きました。

リズム感はそこそこ鍛えられましたが、いまいちロールが苦手で、今でも上手くできません笑

幼稚園から大学2年生までずっとやっていました。

ほとんど叩く曲同じなんですけども笑

それでも飽きなかったのは、神様が私に与えてくださった個性だからだと思います。

 

つまり、好きってことです 笑

 

金管楽器もやりましたが、打楽器が一番興奮します。

でも摂理に来るまで、自信がありませんでした。

 

技術のある人はたくさんいるし、

吹奏楽部で第一志望入れた打楽器が、中高どっちも落ちたのです。。。

あんなに憧れだったのに、できなくて本当に悔しかったです。

第二志望が金管楽器だったので、中高、ホルンとトランペットを吹きました。

それはそれで面白かったですし、現在歌をうたう時なんかはこのときの肺活量が生かされまくっています^^

 

最近思うのです。

 

 

「うわ、、わたし音楽歴ながッ」

 

 

さらにもう一つ

 

 

「人前で演奏しても全然緊張しないどころか、興奮するw」

 

 

 

・・・これは、ものすごい変化なのです。

マーチング、あんなに長くやっていたけれども、自信はありませんでした。

でも摂理に来て神様に讃美を捧げるようになって、自信がメキメキとついたのです。

 

<私は天だけを見たらいいんだ>

 

見てくれたお客さんは言います。

 

「すごく楽しそうに演奏するね」

「笑顔がいいね!!」

「見ててこっちも楽しくなった」

 

私は演奏すると、自然とニヤニヤしてしまうのですね。

会社に行くといつも我慢した顔ばかりしているのですが^^;

演奏となると、気持ちが解放されて、とにもかくにも楽しいです。

楽譜はいつも見ません。

 

胸を開いて堂々と!!

そんな風に昔はできませんでした。

 

ドキドキして、

失敗したらどうしよ・・・・とか考えて気持ちが縮こまりました。

 

もちろん私も今もまったくないわけではないのです^^;

でも、人を意識していたときと、神様を意識して叩く時とは、受ける力が全然違うんです。

 

人を意識していたときは、かかっていないエンジンをかけるところから始める状態ですが、

神様を意識しお祈りをして叩くときは、エンジンがブルンブルンいってるときに始動するような感じです(・∀・)!!!

 

全然違う、

断然違います(^^)/

 

神様がたくさん演奏する機会をくださいました。

一年に何回演奏したでしょうか。礼拝の数を数えたら、それだけでも膨大です。

それをもう六年もしてしまったのだから、そりゃもう、そりゃもう、自信がついているのに今気がついたのがおかしいくらいですね^^;^^;

 

でもおかしい人なんです。最近思ったんです。

「わたし、自信を持って舞台に立てるな」

「失敗しても、笑えるな」

 

メンバーは私が失敗したときの笑顔がイイ!!と褒めてくれました笑

技術を意識したら、私はまったく胸が張れません。

でも、実は神様、幼稚園から習わせてくださりながら、この場所でたくさん演奏させてくださって、もっと自信がつくようにしてくださいました。

また、神様が願うところで、演奏できる機会をたくさんくださいました。

おかげさまで、演奏が本当に楽しいです。

 

ずっとそういう音楽がやりたかったから、すごく嬉しいです。

そういう仲間と出会えたことが、本当に嬉しいです。

たくさんの願いを叶えてくださるだけでなく、それを通して自信を与え、もっと輝くようにしてくださる聖三位に心から感謝したいと思います。

本当にありがとうございます!!!!

 

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]