心苦しい交通事故は跡が絶えません。
死亡事故に関しては、さらにこう、重い気持ちになります。
ああ、この事故さえなければ、今もこの時を生きていたのに…
交通事故のニュースを見る度に、はぁとため息まででてしまいます。
ほんの一瞬なんですよね、その時って。
それまで何不自由なく生活して生きてきたのに、「あ…」という間に問題が降りかかります。
些細なところなんですよね。
ある事故では「赤信号を見過ごして」死亡事故に発展したケースもあります。
教習所では赤信号を守らないと、試験がたしか一発で終わるんですが(多分)これを教習所ではなく実際の路上で行うと、取り返しのつかない事故に発展してしまうのだなということを、交通事故と向き合う中でひしひしと感じます。
例えば
直進して、赤信号を見過ごす。
右折先が青信号で発進した車が、赤信号を見過ごした直進車と衝突、、
その状況を思い浮かべただけで、すごく心苦しいです。
「ああ、もっと信号に神経を使っていたならば…」
人は完全ではありません。
ふとした瞬間によそ見をしたり、適切な判断ができなくて、様々な事故や問題が起こります。
そんな私も最近階段に神経を使わなくて、足を踏み外して捻挫しました←
その時最高に神経を使っていたのがスマホでした。みなさん、歩きスマホにくれぐれも注意(というか、駄目ですよ~)(T-T)
そんな風に普段神経を使っている方向があると思うのですが、
一つにだけ集中していると、もう一方を見過ごしがちです。
私も過去何度もブログを書きながら駅を乗り過ごしました^^;
神様は後悔しないように、「二つ」とも行なわれる。 あることは、行なっても「一つ」だけを行なうから、あとで後悔する。
<運転>も神経を使わずにしたら、事故を起こします。<信仰>もそうだし、<自分の健康と安全>もそうです。(摂理の御言葉より)
運転するときも前だけではなく、後ろも左右も神経を使わないといけないように、生きる中でも一方のことだけを考えず、多方面に神経を使ってこそ上手くいくのだと学びました。
神経を続けて使っていきます( >_<)