オヤビンとコブン

漫画「死と向き合って、人生と向き合う」〜人生の目的をがむしゃらに探していた〜


 

 

 

 

 

 

 

順風満帆に思えていた人生に転機が訪れたオヤビン。

仕事に一生懸命打ち込んでいたオヤビンでしたが、お父さんが亡くなって、

人生の生き方について考えるようになったのでした。

死と向き合って

誰かの死と向き合ったことはありますか。

私は一度だけ、お婆ちゃんが倒れた時に向き合いました。当時、御言葉を2、3個聞いたばかりのとき、お婆ちゃんが脳梗塞で倒れました。その時、部屋に一人でいた私が、親戚からの電話をはじめに取りました。

頭が真っ白になりました。

そして気が動転しました。

わあ、わあ、どうしよう、お婆ちゃんが・・・!と思ってどうしようどうしようと思って部屋中をぐるぐる回っていました。

でも誰もいないから、どうしたらいいのか、ひとまず電話しようと思って家族の誰かに電話した記憶があります。

あの時、まだ御言葉を聞きはじめて間もなくて、神様について、霊について、まだほとんど知りませんでした。どうしたらいいのか、本当によく分かりませんでした。

当時の記憶が日記にしたたまれていました。

突然の電話。びっくりした。

おばあちゃんが倒れた。脳梗塞だった。

へんな感じだ。

昨日は○○さんの家でわいわい楽しんで、○○さんとサッカーゲームをして本当に楽しい一日だったのに、その○○さんの姉であるおばあちゃんが、まさか倒れるなんて。

本当に驚いた。

頭がぐちゃぐちゃで・・・

ばあちゃん、大好きなばあちゃん。大好きすぎて大好きすぎて、おばあちゃん、

愛してくれたおばあちゃん。

ひとつひとつ思い出すだけで涙が溢れてしょーもない。(麦わらさんの瀬戸際日記 2011年1月4日より)

人の死と向き合うと、人生について考えるようになります。

私もおばあちゃんが倒れてから、さらにいろいろ考えました。おばあちゃんが亡くなったのは、倒れてから数年経った後でした。

御言葉をかなり多く聞いていた時でしたが、それでもぽっかりと何かが抜けてしまう気持ちになりました。

人の死と向き合うと、自分自身とも向き合うようになります。このようにいつかは人生の終わりが来る。その時自分が何をやって、この世を去るのだろうか。仕事ばかりしていて、楽に生きることばかりしていて、いいのだろうか?

何かを成し遂げたい思いが湧いてきました。何かを残したい気持ちが湧いてきました。

でもわたしにできることって何なんだろう?

御言葉を聞いていなかったあの頃、私は本当によく分かりませんでした。

人生の目的をがむしゃらに探していた

私は生きる意味についていろいろ考えていました。私が向かう先はなんだろう?

私ができることって何なんだろう?と考えていました。

もっともっとでかくなりたいです。すごいすごい物語を書きたいです。

次元をはるかに越えた、何年も何百年も心に訴えかけるような作品を描きたいです。

(麦わらさんの瀬戸際日記 2010年12月14日より)

おばあちゃんが倒れる前の日記ですが、本当にコブンじゃないけど^^;笑 大きくなりたい、でかくなりたいと思っていました。

オヤビンもがむしゃらに人生を生きる目的地を探していましたが、私も何かしたい、何かできることはないかとずっと探していました。

でも、日記に書かれているようなことを達成するには、もっと学ばなければいけないことがたくさんありました。だから本を読んだり、神ゲーと呼ばれる作品を見て^^;どんな風にしたら大きなメッセージ性のある物語が書けるのか自分なりに研究していたのでした。

そういう中で、神様について、真理について、人間について学ぶことができる御言葉と出会うようになったです。本当に不思議な出会いとしか言いようがありません。

神様は、私の心の叫びを一番ご存知だったのですね^^

人生の死ともっとも向き合う先生との出会い

鄭明析先生の何がそんなにすごい魅力的なのでしょうか。

人によっては笑顔、人によっては実践力、色んな人がいらっしゃると思います!

私が先生にもっとも共感したのは、「人生の虚しさを感じていた」先生の姿でした。私が一番共感した姿でした。先生も人生何のために生きているのか誰よりも探し求めていました。そういう中で、聖書を学ぶようになり、人生の答えを神様に求めるようになりました。

そして今わたしが先生について伝えたいなと思う姿は

「人生の死ともっとも深く向かい合う姿」です。

先生ほど一人ひとりの死と向かい合った方はいないのではないかと思います。ベトナム戦争に行かれた時も、多くの人の死と向かい合い、どれほど叫び苦しみ、もがきながらそのひと時を過ごされたか、感じることは難しいです。

映画「ハクソーリッジ」が上映されましたが、壮絶なシーンが多くあったみたいで、そこがとても心に残った、という感想を聞きました。。それくらい壮絶な戦争のさなか、一人も殺さずに、むしろ生かして帰って来られた先生が、どんなことを見て聞いて感じて、深い心でその時を過ごして来られたのか、計り知れません・・・。

でも先生は戦争から帰ってきて、もっと多くの命を生かそう、そう決心されたことは、今を見て明らかな姿だと思います。

先生は今でももっとも多くの「死」と向かい合って生きています。

それは肉体の死だけではなく、「霊の死」まで見ているから、本当に計り知れないです。

肉の死だけでも、引き裂かれるような思いがするのに、永遠な霊の命まで見て、先生は生かそうとされるのです。

深い人生の根底と見つめ合いながら、私達の霊が、永遠な拷問の苦しみから逃れられるように、今も私達のために御言葉を書いて、お祈りを続けていらっしゃいます。

死と向き合うことは、命と向き合うことなんだと感じるしかありません。

先生を見ると、本当に心底、死と命と向き合ってきた方だと感じるしかありません。そして生かすために犠牲になり、今も続けて犠牲になって、ものすごい精神であの環境を治めて、行うべきことをコツコツとなさっています。

先生を見ると、ハッとすることが多いです。私達が今歩んでいる人生は、決して軽いものではありません・・・。

一人ひとり生まれてきてから今の今まで刻んできた人生は、一体何のために経ている過程でしょうか。

目的地を探してみれば、必ず得る答えがあります。

神様だけが、その答えをご存知です。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]