摂理に来ると、今まで気にならなかった聖句も、その深い意味が分かって好きになることがあります。
私はこの部分…
『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。
マタイによる福音書 2:6
ユダの地、ベツレヘムに語りかけているこの聖句が、どうして自分と関係があるでしょうか…。
もっとも小さいところから、大きなものを創造なさる神様
ベツレヘム、とても小さい町ですね。日本のどのへんでしょう。目立たない田舎町、という感じです。
いわゆる東京とか、大阪とかではない、知名度の低くて、名前も知らないような、行っても羨ましいがられない、そんな場所です。
そういう小さな町に、神様は全人類を愛して救う、救い人を産まれさせました。
東京とか、マンハッタンとか、当時のそういう大きな場所で産まれるようにはなさらなかったんです。
どうしてでしょうか?
メシアの出身は東京!ニューヨーク!だったら、人々みんなおぉーと感嘆するでしょう。そうでもない?
それともそれが当然っと思う?
その考えは人間の考えなのです。
神様はいわゆる都心に救い人を産まれさせませんでした。
これには深い天の御心があります。
これが本当に深いのです。
が、今日はそこに焦点を当てるというよりは、神様は、「小さなところから歴史を起こす」ということをお伝えしたかったのです。
すべてのものを見てみてください。命が生まれるのも、小さな精子と卵子が出会いから始まります。そのような微弱なところから神秘的な人間が創造されるから、ものすごい歴史が起こった!と感嘆します。
植物も小さな種から、あのような立派な樹木に変化します。神様はどういうときでもはじめは、微弱なところからお始めになり、最後は壮大になるように創造なさいました。
また別の観点から話します。
私たち一人一人も小さいですよね。
有名になってテレビにも出て、、そんな風に活躍される人は稀です。
しかし、小さい私だとしても、神様はそこから大きなことを生み出そうとされます。
普通、人間同士で見たら、取るに足らないし、使いたいもない、そういう人であっても、神様は違います。
田舎町であった当時のベツレヘムも、今や全世界が知る名前になったように、私たちも神様と共に生きる時、そのような大きな者として作ってくださるのです。
鄭明析(チョンミョンソク)先生も、誰も知らない田舎町で生まれ育ちましたが、今や日本人でもその名を知り、その故郷 月明洞の名前も知るようになりました。
これが普通に生きていてそうなるでしょうか…?
自分の故郷が全世界中に知れ渡るほど、大きな人になるのは、本当に難しいでしょう(笑)
私は都会育ちですが、先生は本当に、山奥の奥地です(笑)
それでもこのように人々に御言葉を伝えて、多くの人の問題を解いてくださるようになりました。
だから、自分のいる環境が問題ではないし、人に死ぬほど蔑まれたとしても問題ではありません。
神様はそのようには絶対に見ないからです。神様は心の中心、そこを貫き通して見ます。
だから、希望を持たないといけないですね^_^!人がどうこう関係ないのが摂理です。摂理はひたすら神様の立場で考えてこそ、スッキリ解けます!
自分を小さく、狭く考えずに、心を守って、より高い次元に向かって頑張っていきましょう!