昨日歩いていると、小学生の軍団とすれ違いました。
耳をそば立てていると、んん!?ちょっと驚く話をしていました。
「ねえねえ、きたちょうせんがミサイルうってきたら、あめりかもミサイルうつのかなあ?」
「え〜そしたらにほんはどうなるの〜?」
「うたないと思うよ〜」
そうだ、子どもたちだって心配だよね。
こんな話題を口にする日本の小学生たち(しかも年少さん)
昔よりは平和な世界になったと言っても、根本的には平和ではないんだなあと改めて感じました。
子どもって純粋で、素直で、思ったことを率直に話して、なんかいいですよねえ。
私も子どもがとても好きなのですが、一緒に遊ぶのは、ちょっと辛くなってきました笑
子どもたちの想像力って半端なくって、どんどんシチュエーションを作り上げて、演じ始めます。
私もだんだん追いつけなくなってきました笑
つい先日、病院に行ったのですが、目の前に2歳くらいの子どもがいました。
病院の隅にある「象さんの陶器」が気になって、お母さんをチラチラ見ながらその陶器の近くに行きました。
何をするのかなあと見ていたら、「なでなでしていい?」とお母さんに確認。
お母さんが頷くと、恐る恐る象さんの陶器の体をなでていました。
いやあ。子どもって不思議です。象さんの陶器は、生きていないけれど、生きているみたいに接するんですよね。
そんな麦わらさんも、昔は山に向かって「ばいばい〜」とお別れしたものです。
私は生まれも育ちも東京都民。旅行に行く時くらいしか山を見ることができませんでした。
だから、子どもながらに山って特別な存在だったんですよね。それで、電車に乗って東京に帰るときは、だんだんと見えなくなる山を眺めながら「ばいばい山さん〜」と手を振り泣いたことがありました。
あと、家族の足を触るのも好きでしたね。足って、くねくね動くから生きているみたいでしょ?^^;
なので、動く足を見て、興味津々でした。「足さんどうも〜」と挨拶する気持ち。
子どものときは何でも生きている人みたいに接していました。
北朝鮮の話題からすごくズレましたけれども、子どもって先天的に「平和」を求めている存在なんじゃないかなあって思いました。
人間に本来神様が与えてくださった、子どものような純粋さ、素直、やわらかい心。
大人になるといつの間にか忘れてしまうんですね・・・。
大人の損得勘定で平和がいつも壊されるから、子どもたちに申し訳ないなと思います。
よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイによる福音書18章3節〜4節)
天国のような世界、本気で平和を求めるならば、
自分自身が、子どものような純真な心を取りもどすことが必要なんだなあって思いました。