ニュースを見ると、わいせつ行為で逮捕される、といった事件が耐えないですよね。見るたびに、心が悲しくなります。
女性の立場になって見ると、”性的暴行””性的被害”という言葉が非常に怖いです。女性だからこその弱みを掴まれた気持ちになります。
全世界から性被害がなくなってほしいと心から願うばかりです。
反対に、男性がわいせつ行為の加害者として取り上げられることが多いですが、
それゆえに誤解される立場になることも多いそうです。
出典:yahoo映画より
「それでもボクはやっていない」
2007年に上映された映画。ちょうど10年前ですね!
痴漢の濡れ衣を着せられてしまう男性が主人公で、無実を主張するもあえあく有罪判決が出てしまうという衝撃的な内容です。当時おそらく中学3年生か高校1年生だった麦わらさんにとっても驚きの内容だったと思っています。
<冤罪>という言葉がようやく認識しだした頃だったと思います。
日本で起こった冤罪事件
新宿駅痴漢冤罪暴行事件
09年12月10日午後11時過ぎ、転職先の職場の歓迎会を終えて帰宅を急いでいた原田信助さん(当時25歳)は東京・新宿駅構内の階段で酔客らにすれ違い様いきなり殴りかかられ、階段から引き落とされる。さらに男性らは馬乗りになって信助さんの頭を床に打ち付けた。「階段ですれ違い様に痴漢された。お腹を触られた」という女性の一声で騒ぎに駆けつけた駅員からも暴行を受け、信助さんは警察に助けを求めて110番通報する。しかし信助さんを待っていたのは、「痴漢の容疑者」としての取り調べだった。
Business Journal All Rights Reserved.より
2009年に起こった事件ですが、現在も裁判が続いています。
どうしてこのようなことが起こってしまったのでしょう・・・?
警察が本当に真実を求めて捜査したならば、このような事件が起こったでしょうか。
警察の判断があまりにも一方的すぎて、胸に釘がささった気持ちです。
早く真実が明らかになってほしいです。
悪いことは悪いと認めらなくて、何が正義でしょうか・・・。私が大学時代、こういったニュースを見ながら一番考えました。
この矛盾は何なのだろう??一体何を守りたくて嘘をつくのでしょうか。命を足で踏みつけておきながら、何を守りたいのでしょうか・・・。
神様はおっしゃいました。「真実は必ず明らかになる」と。
鄭明析先生は性的暴行をしたのか?
性的暴行を受けたと自称する女性、検査結果は、性的暴行の形跡なし
特に2006年4月3日、中国アンサンで2人の女性が性的暴行を受けたといって、警察に通報した事件について、2006年4月5日、中国アンサン市中心病院の診断結果は“検査の結果、精液なし。正常。強姦を受けた形跡なし。”ということだった。当時、中国公安の通訳も“中国の病院の医者からキム某氏が処女膜に異常がないということを聞いた”と法廷で証言した。
2006年4月8日、韓国警察病院の診断結果もまた“処女膜に全く損傷がなく、いかなる形態としても性的暴行の形跡を見出すことができない”ということだった。国立科学捜査研究所の精液検査結果もまた陰性反応だった。
しかし、2006年4月10日、告訴人の中で、キム某氏は、再度警察病院で診療を受け、最初とは異なり、小さな裂傷があると診断された。この裂傷は告訴人が主張する深刻な破裂傷ではなく、“自転車に乗っても発生し得る傷”と当時の診療担当医師は陳述した。
チョン・ミョンソク牧師の作品は芸術家の精神を含んでいる。獄中で書いた詩集は、苦痛と忍耐のなかで練達を受けて初めて悟れる深い人生の真理と思想を含んでいる。
チョン・ミョンソク牧師の著作生活は獄中でも途切れることなく続いている。聞くところによると、これまで4年9カ月の獄中生活の間、チョン・ミョンソク牧師が書き記した御言葉、黙想の詩は既に数千篇に達するという。(摂理の真実より)
したのか、していないのか。私は目撃していないのでわかりません。
このような情報だけ知っています。
ですが、性的暴行をして命に傷をつけ、踏みにじるようなそのようなことをする人が、今もあの場所で私達のために祈り、御言葉で私達の心を支え、助けてくださるでしょうか?
罪を犯した人が、神様があなたと共にしている、と力づけ、励まし、神様の愛について話せるでしょうか。私にはできないと思います。
自分が辛いとき、誰かのために祈ることも難しいです。自分に関心を持ってもらいたくて、わかってもらいたくて、もっと自分しか見えなくなってしまうのを、私は経験しました。
人間ひとり、孤独なものです。間違いを犯したとき、逃げたくなります。でも逃げた先にあるのは、深い孤独です。そして罪を犯したという自責の念にかられて自ら苦痛を受けるようになります。そういうときに、誰かを助けることができるでしょうか。たとえ罪の感覚がない人がいても、人に愛を与えることはできないと思います。
でも私は鄭明析先生が服役中に御言葉を聞いて、ほんとうに生き返るようになりました。わたしについては”むかし話”から読んでみてくださいね。
冷静に摂理を眺めて
会社のトップが、部下の給料を下げ、労働時間を増やし、毎日残業漬けにしたら、部下は反発するか、会社を辞めるか、裁判を起こすか、最悪のパターン自殺してしまうかなど、何かしら反応を見せます。
トップが女性に淫らで、わいせつ行為をしたら、部下はそれをただ黙視するでしょうか。
黙視するとしたら、トップに何か弱みを握られているか、部下も精神がおかしいかでしょう。
そんな不正を犯したトップが警察に捕まったら、部下はどうするでしょうか。
「こんな会社はやく辞めたかった!せいせいした!」と辞めるのかもしれません。または黙認していた部下も警察に捕まって事情聴取を受けたりして、大変かもしれないですね・・・。女性たちは、わいせつ行為をするトップが捕まったら反対するでしょうか。安心すると思います。捕まってよかったと・・・。
トップを支持していた人がいたならば、トップと同じ精神で、人を踏みつけあざ笑い、自分の好きなように使って生きていたでしょう。だから不正がバレたら一緒に捕まる可能性は大きいと思います。歴史的に起こった事件、宗教がらみの事件も、だいたい似ています。
間違った思想が最終的に何を奪うのかといったら「命」です。
それも、自分の不正がバレないために、命を奪います。その人の間違いを命を犠牲にして見えなくさせます。
間違っていることだと思います。
もし鄭明析先生が性的暴行を犯すような、間違ったことを犯すような人なら、命をもっとなおざりにすると思います。
悪い思想を持って悪いことを行うならば、必然的にそうなるのは歴史的に見てもそうです。
しかし摂理で行われていることを冷静に見てみると、そのようなわいせつな行為、常識を逸脱した行為は見られません。
冷静に考えなければいけません。
本当にここは間違った場所なのだろうか?世間が噂するカルト宗教なのか?
本当に性的暴行を犯したのか?それは事実なのか?それとも嘘なのか?
摂理では微塵もこのような良心にひっかかる事件はひとつもありません。
もしこのような事実があったら、摂理の看板を掲げながらブログを書いて、悠長に絵なんて描きません^^;
少しでも考えるきっかけになったら幸いです。