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原発避難いじめ問題、胸が痛い。教育と私達の重要性


Alexas_Fotos / Pixabay

2011年の福島第1原発事故で福島県から一家で自主避難し、横浜の市立小学校に転校した男児がいじめられ、不登校になった。今、中学1年の生徒は、昨年書いた手記を公表し、偏見と暴力を向けられ孤立した苦悩や、学校が対応してくれなかったことを訴えた。

 

<いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさい(震災)でいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた>

<ばいきんあつかいされて、ほうしゃのう(放射能)だとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった>

 

いじめ防止対策推進法(13年施行)は、こうした深刻な状況を「重大事態」とし、学校や教育委員会にただちに対応する調査組織の設置などを義務づけている。

しかし、14年、いじめ被害を察知した保護者が学校に相談しても、学校は重大事態とはとらえない。保護者が市教委に調査を改めて訴え、ようやく第三者委員会が今年、本格的な調査に入った。

今月出た報告書は学校や市教委のあまりに鈍い対応を「教育の放棄に等しい」と厳しく批判している。

生徒の学校に対する不信感も大きい。手記にはこうある。

 

<いままでいろんなはなしをしてきたけどしんよう(信用)してくれなかった。

なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた>

今回の問題は、社会への重い警鐘でもある。

いじめを繰り返した子供たちの偏見はどこに由来するのか考えたい。子供は大人社会を映すという。

心しなければならない。

毎日新聞:原発いじめ 子ども守れぬ学校とは より

誰に訴えても取り合ってもらえなかった心。

「菌」扱いされて、言葉の暴力を受けて、どれほど心が傷ついたでしょうか。

つらい思いをしているのに。その気持ちを汲み取るどころか、ばい菌扱い。

小さな子どもが何度も死のうと考えて、きっとどれほど悔しくて苦しかったでしょうか。

それでもあの時、目の前で亡くなった多くの人を見て、その子は生きることを決めました。

その決心は、簡単なことではなかったはずです。

「いきるときめた」その決心に、心からありがとうと伝えたいです。

「いじめ」はいつなくなるのだろう?

Taken / Pixabay

私も過去、「いじめ」を見たことがあります。また、少しいじめられていた時期もありました。

でも今話題になっているいじめに比べたら、いじめと呼べるものではないかなと思います。だからといって辛くないのではなかったし、私も親も、いろいろと大変でした。

幼稚園のときも、小学校のときも、強い子がいました。私はやんわりとした面持ちで、誰にも悪い思いをしてほしくないと思うタイプでした。幼稚園の頃から中立的立場にいました。そんなやんわりとした自分に大して、ずっと私を自分のものにしようと強要してくる子がいました。私の意見はまったく聞かれず、その子の話ばかりが通って、強制力がありました。だから私は何もいうこともできず、だからといって傷つけたくないから「嫌い」とも言えませんでした。だからずーっと気を遣っていました。

小学校2年生くらいまではその子と同じクラスでしたから、ずーっとその子から逃げ出すことで必死でした。顔を合わせないように、廊下で鉢合わせないように、何をするにしても、その子の存在が頭にひっかかって、逃げよう逃げようと努力しました。

ついに3年生になって、その子と違うクラスになりました!

私は心が解放されて、すごく太りました。ものすごく(^^)

でも太ると「デブ」と言われるんですよね。デブデブと。確かにものすごいデブでした。二重あごが半端なかったですし、自分のお腹を見るたびに「こにしきみたい」とつぶやきました。それでもデブなりに2年生の頃よりもハツラツに生きました。でも、ある時に女の子の友達に真剣な顔で「このデブ!!」と言われた時には、非常にグサッときて泣きました。

どうして外見で何でも判断するのだろう。

私は子どもながらに、疑問に思いました。そして考えが深くなりました。人はそんなに単純ではない。本当に多様な考えを持っているし、見た目はデブでも、外側は変でも、みんなと同じ心を持っている人間なんです。

中学校に上がると、私のニックネームは「男女」になっていました。その頃には、もう言葉程度では傷つきません。男女というニックネームはまんざら間違っていませんでしたし、勝手に言ってろという気持ちになりました。だから私は大丈夫でした。しかし、回りではもっと深刻ないじめが起こっていました。

靴の中に画鋲が入れられる。

机に落書きされる。

言葉のいじめ。

黒板に悪口が書かれる。

教科書が捨てられる。

そいういうことが学校で起こるようになりました。

ところが、学校はそれをいい意味で明らかにしながら、ちゃんと対処しようとしていました。だから、ものすごい深刻な問題にはならなかった印象があります。大人の誰かが聞いてくれて、助けてくれるだけでも、全然違います。

当時いじめられていた子は私がとっても知っている子でした。私が最初、いろいろと大変な思いをした幼稚園の頃の、その子だったからです。私はその子のことを小学校6年生くらいにはいろいろと気持ち的にも解決していました。一緒にその子の家に遊びに行くこともしたくらいでしたから。もちろん苦手意識はありましたが、それでももう、乗り越えられるようになっていました。だから、まさかいじめに発展していたと聞いて、とても驚きました。

人が「そう」なるには、必ず理由があります。

問題を起こす友達もいました。タバコを吸ったり、暴力をふるったり。

でも、そういう友達がタダで「そう」なったわけではありません。家庭の問題や、コミュニケーションの問題。いろいろあります。

それが学生の頃はよくわからなくて、単純に目の前のその子の言動や行いだけ見て、変に思ったり、悪ふざけでからかったりします。それがどんどん最近のニュースを見ると、陰湿なものに変わってきました。SNSの発達もあって、裏で悪口を言ったりする人が多くなりました。

私が高校生の頃は、<裏>の存在が色濃くなりました。当時Twitterはありませんでしたが、2chのような掲示板に悪口を書き込んで、酷いいじめに発展することもありました。mixiなどもそういう掲示板として使われることもありました。そうやってだんだん、裏でいじめが発展するようになりました。

今回の問題は、社会への重い警鐘でもある。

いじめを繰り返した子供たちの偏見はどこに由来するのか考えたい。子供は大人社会を映すという。

記事の最後の文章がとても印象的です。

社会がおかしくなっている。それを感じ始めたのが大学生の頃でした。特にショックを受けたのが、3.11に起きた洪水の時。当時洪水の映像があらゆるニュースや、映像サイトで載せられていました。とあるサイトでその映像に大して様々にコメントが寄せられていましたが、見たら、人が流されることに興奮して盛り上がっている文章でした。

映像のショックもありましたが、そのコメントの方がもっと衝撃的でした。

どうして人はこんなにも、相手の気持ちを感じられなくなってしまったのだろう。

大人になった私達が、変えていかないといけない。

相手を表面的に見て判断して、怒ったり、叩いたり、罵声を浴びせたり、陰口を言ったり、そいういうことをする前に、もっと考えないといけない。学校の立場、自分の立場だけ考えたら、一向に世界は平和になれない。相手の心をわかってあげないと。

戦争の時、先生は敵兵を見て思いました。「この人達にも家族がいる」

目の前の人も、みんな一生懸命に生きて、もがいて、なにかを得ようと頑張っているんだ。

いじめの問題をなくすためには、私達の考え方が変わらないといけないと思う。

いじめのニュースを見るたびに、私はすごく、悲しくなります。私も辛く思っている人たちに、何かひとつでも支えになってあげられる存在になりたい。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]