中学校にいたとき、いじめの問題がありました。
陰湿なものから、ガツンと殴るみたいなものまで、いろいろないじめがありました。今思うと、中学生はとても心が不安定で、繊細で、難しい年頃だったなあって感じます。
教科書がなくなっているとか、トイレに入れられているとか、画鋲が靴の中に入っているとか、シチューを頭からかけられるとか・・・
本当にいろいろな場面を見てきました。目の前である友達がシチューを頭からかけられれているのを見て、すごく驚いて、「何やってるの!?」と私も怒って止めようとしたのを思い出します。
その友達も反論して喧嘩になりそうになったりして、止にかかる先生や友達の姿も見ました。
そのあと、教室でシチューをかけられた子が、教室の雑巾を外に投げていたのですが、雑巾に当たってどうするのか!と思いつつも、その複雑な心に何を言えず、ただ外に捨てられた雑巾を拾いに行きました。
懐かしいです。
中学生の時、いろいろな葛藤があります。進路の問題、人間関係の問題、性の問題・・・特に、複雑な家庭環境の友達は、その吐口がなくて、非行に走ってしまい、喧嘩やいじめに発展することもありました。今はきっとSNSに走る子が多いのかもしれません。
相手の気持ちがまだ、わからない年頃。自分のことだってあまり見えない年頃でもありますよね。目の前の勉強や部活に追われ、家族と過ごしても、素直に気持ちを伝えられない葛藤もあるんだと思います。
その時、もし神様のことを知っていたら、もっと心はひねくれなくて済んだかもしれません笑
本当に、私にとっては中学が、もっともやり直したい年齢なんです。あの時聞いたこと見たことが脳に残って、今の自分を苦しめることもあります。好奇心が旺盛だからこそ、その好奇心によって良くない影響もたくさん受けてしまいます。
自分の考えが「宝」です。
人は「考え」で生きると、先生はおっしゃいました。「考え」で天国も地獄も作ってしまいます。考え方次第で、どんな人生を歩むのかまったく変わってしまいます。
まだ若いからこそ、いろんなことを見たとおり聞いたとおりに判断してしまったり、友達に言われた言葉を自分のすべてのように思って、落胆してしまうこともありますよね。
でも、そうではないです。
神様は、若いあなたに「開発しなさい。自分を作ろう」とおっしゃって、ひとつひとつ手ほどきしながら、そして神様の愛を注いでくださりながら、今よりもっと美しく雄大で神秘的になれるように導かれます。
環境は変えることはできないけれども、自分を変えることはできますからね^^
辛い時、悲しい時、それを見ている神様も辛く悲しいとおっしゃいました。希望に燃えてもっと豊かに希望を持って走れるように!と神様はいつも共にされているから、若いみんな、めげずに、希望を失わずにがんばろう・・・!
今もいじめは続いているし、なかなか絶えることがありませんが、いじめを止めることができるのは、いじめに気がついた「自分」です。是非感動がある人は一緒に話しましょう^^!