愛が目的で、神様は私たちにこの地の全てのものをくださったのに、
私たちは何も知らないで使っているんだなぁ。
先生がつたえてくださる御言葉を聞きながら、ほんとうに、神様のもどかしい気持ちが伝わってきました。
岩の作品を神様がくださったとしても、
岩を見ることを願っているのではないんだなあ。
先生の故郷月明洞には、たーっくさんの岩の作品があるのですが、どうして神様はたくさんの岩の作品をくださったのでしょうか…?
岩に形象があるなんて、摂理に来る前に考えたこともないし、そんなものがあるだなんて思ったこともなかったのですが、
よくよく考えてみれば、
神様が6000年も前に、この時を見て形象を削り作られました。一人ひとりの人間を新婦のように愛して、この大作品を見せてくださり、与えてくださいました。
あまりにも驚く形象の作品がたくさんありますが、全てが神様の真心、愛で作ったものだと思うと、、本当に、、その貴重さをどれほど分かって喜べたのかなあ。
岩だけではないはずです。
今ある生活も仕事もいただいた物も使命も、全部目的はただ「神様と聖霊様と御子主を愛すること」
愛が目的でなければ、集会をする必要もない。
それを話される神様は、いったいどんな心境なんだろう、、。
先生が教えてくださる御言葉は、いつも私たちを聖三位へと繋げてくださる御言葉。
聖三位を愛せるようにと伝えてくださる御言葉です。