先週から私の心はゆらゆら揺れている。
何に揺れているのか…
心が泣いて泣いて
震えているのだ。
人生について考える。
命は、結局は死ぬ。
それまでどう生きたとしても
死ぬ時は死ぬ。
仕方がない。
でも、死ぬまでのひと時ですら
人生の問いかけに答える人がいないなら
なんて儚い人生だろう。
神様だけが
「生きる意味」を知っている。
そうでなければ
無気力。
気力のない最期だろう。
親戚のひとりが、
そのような死をとげた。
…
末期ガンと伝えられ、二週間と経たずに亡くなってしまった。
亡くなるまでの間、まるで生きる気力がなくなったかのように、過ごされていたそうだ。
その話を聞いて
私は心からしくしく しくしく泣いた。
あまりにも悲しくて泣いた。
その話を聞く前に虐待問題に関する本を読んでいて
アッパーにフックをかけられて私まで完全にダウンしてしまった。
カンカンカン。試合終了。
悲しみと絶望だった。
神様を信じていながら、限界ばかりが大きくなってしまった・・・。
希望よりもずっと、大きくなってしまった。
…
生きる気力もなく死んだ。
このような死を迎えるのは
決して私の親戚だけではない。
日本・・・いや世界中すべての人が迎える
象徴的な死だと思った。
「なんのための人生なのか」
その問に誰が答えられるだろう?
生きる意味が最後まで得られないならば、果たしてその人生はどう形容できるのか。
答えを知っているのは、ただ神様。
その神様を人生で一言も呼ばずに生きるならば、その生はまるで回答のない問題用紙のように、無気力という空白で埋め尽くされるだろう。
…
さて、私の心もダウンして、しばらく呼吸をしていた。
社会問題とも向き合ってられない…
絵も描けない…
伝えようとする希望よりも、
絶望と悲しみがもっと大きくなってしまったから。
今日もそれで終わると思った…。
…
今日は慰安旅行のような、休みの時間をもらった。
そこで美味しいものも食べて、自然の中でゆったりと過ごした。
肉体は嬉しかった。
でも、なかなか心は軽くならなかった…。
お祈りをしながら、悟ったのが、
今日話した”希望よりも勝ってしまった絶望”についてだった。
「神様、神様は絶望するしかない現実ばかりだったのに、どうして最後まで人間を愛してこれたのでしょうか?」
「それほどまでに目的に対する希望が輝いていたのですか?」
「私には限界しか見えません。」
そう打ち明けた時、浮かんできた言葉があった。
「私は最後まで成し遂げたのだから、私があなたの考えのハンドルを握るようにしなさい。そうしたら最後まで行くだろう」
…
…
生きる意味が最後まで得られないならば、
どんなに輝かしく生きたところで、虚しい人生だ。
だから、神様のことを伝えていくことは諦めてはいけない。
根気強く、最後まで、最後まで。