最近祈るたびに泣くことが多い麦わらです苦笑
いやあ、皆さん元気でしょうか?
私はとっても元気なのですが、気持ちに追いつかない体にもどかしさをつのらせています。
良いこともありましたし、良くないこともありました。
良くないことを感じるたびに、私はじゃあどう最善を尽くして機会を掴むべきだったのかと考えます…。周りの変化が早すぎて、私ができる範囲の限界線を感じるのです。
そう、限界について、一番感じた一週間でした。
悔しくもどかしい気持ちで祈っていた時、
家族LINEに送られてきた動画を思い出しました。
そこはバッティングセンターで、まだ小さい姪っ子が一生懸命バットを振っていました。それを仕事中に見て心がほっこりしていたのです。
球が何度も何度も飛ばされるたびに、姪っ子は何度も素振りします。
小さい体なのに、バッドは大きく、上体を傾かせながら、何度も素振りします。
力は弱いけれども、集中して、打てなくても動じません←
ひたすら素振りするんです。
そして、動画の最後には、まぐれのようにバッドに当たったんです…!!
ほんとに、あ、当たった!?みたいな笑
打った!というよりは「当たった!?」みたいな!笑
(でもお姉ちゃん曰くその後4回連続も当てたそうです…!)
その経緯を祈りながら思い出しました…。
限界に対して向き合って行うことで、いつか打てる時が来る…。
それが「瞬間の機会を掴むことだ」と…。
…
今、原作でいう少女編②のアニメ化に手をつけているのですが…
少女の虐待を目にした後の、オヤビンとコブンのもがきを扱っています。
特に「自分にできる限界線と祈りの可能性」について言及した作品になっています。
これが、自分の状況と同じだったんです…。
実際虐待の現場にずっと居続けることは難しいです。
ずっと保護しようと見守ることもできないですし、第三者の一般市民としてできることは本当に少ないでしょう…。
そうしたら、自分に何ができるのか…祈ることしかできないもどかしさ、限界を感じたんです。
オヤビンとコブンはその現実にひどく悩まされます。
救いたいけれども、救えない…。自分には何一つできない…。
でも神様は話します。
「誰か一人でも、その命のために祈る人がいるならば、私が働きかけないだろうか…?」
私はこの作品を書きながらも、
まだ信じられていない自分の姿を見ました…。
でも、何度も何度も素振りしたらいつか機会を捉えて打てた姪っ子のように、
祈りも何度も何度も
行いも何度も何度も挑戦していけば、必ず打てるときが来る…。
そう深く感じて
涙と鼻水が滝のように流れた麦わらだったのです。