途方に暮れながら、道を歩いていた。
ひとあし、ふたあし
歩いて、なんだかなあと思って、立ち寄った学校。
立派な校舎。まるでヨーロッパのなんとか宮殿のような外観だった。
校庭はないけれども、ベンチや花が咲く素敵な庭園があった。私は気力もなくベンチに座った。
「ふう」そう一息つきながら、ボーッと空を眺めていた。
雲が悠々と動いている。ゆっくり、ゆーっくり、黙々と形を変えながら動く雲。
私はベンチに座ってぼーっとしていたけれども、雲は黙々と動いるから不思議だった。
雲の動きに合わせて日が射し込んできた。雲の合間から光がこぼれて、庭園を照らす。
それを見ながら、私は涙が出た。
「私が立ち止まっていても、神様は止まらないんだな。
常に今も動いて働きかけているんだな。やるべきことを行っているんだな。」
そう思ったら、心に生気が戻ってきた。そうだ。今も歴史は動いている。
その人は生きている。神様は生きている。
神様がいないと思って今まで生きていましたが、神様がいると思って生きたら、世界の見え方が変わりました。でもたまに、見え方が昔と変わらないときもあります。
見え方が変わるときってどんなときなのかというと、
神様の息遣いを感じた時。同じ時代を神様と呼吸を合わせて生きていると感じる時、世界が変わって見えます。
摂理でバイブルスタディーを一つ一つ聞いた時も、聞く度に世界が変わって見えました。神様の視点で見たら、見え方が変わりました。
疲れて立ち止まりたい時、動いている雲を通して神様は語られました。
「あなたは今いつの時代を生きているのか?私が共にする時ではないか?」
「すぐ近くで一緒に走っているのに見えないのか?」
見て、感じることは、私達が考えさえすれば、すぐに見えて感じれるみたいだ。