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結膜炎にかかった目だとしても、貴重だ

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こんばんは。麦わらです。
結膜炎になってから、1週間以上経ちましたが、左目が少し回復してきました。
右目は結膜に傷がついてしまいましたが、これも一生傷がついたままではなく、回復するそうです。人間の体って不思議ですね。

こんな小さな部位ですが、目ひとつ使えないだけで、とても不便になります。
本当はとっても大切な部位なのに、普段当たり前のように使っているから、その大切さを忘れがちです。今隣にいる人も、いたら当然のようだけれども、いなくなったら突然、物事が進まなくなります。いなくなってはじめて分かるのって、なんだか不器用ですよね。

とくに盲目的になりがちなのが「自分」という存在です。
私がいても意味があるのだろうか?いなくてもなんとかなるのではないか?
私はよくこういう考えがよぎります。そして、こういう考え方をする人が多いような気がします。でもそれは違います。自分という枠でだけで見ると、見えるものが狭いですが、私という存在に繋がっている人々を考えると、ああ、やっぱり私がいないといけない!と思います。
親と私、親戚と私、友人と私、

それだけではありません。

天と私。主と私。世界と私。日本と私。どこから見ても、私という存在は必要であり、貴重であり、意味があるのです。そのことに気がつくならば、生き方がもっと変わると思います。私もそう考えられるように、少しずつ考えを転換中です。

考えの次元をあげなさい。

私が貴重だということ。その人も貴重だということ。尊いということ。
もっと分かりたいですね(^^)

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麦わら
演奏することと、絵を描くことが好きです^^ 楽器はカホンを叩いています。普段はあまり大きな声を出しませんが、讃美するとすごい発声が良くて自分で驚きます^^;摂理の多様な”味”を毎日発信♪

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