比喩を使って分かりにくくしている理由がある
オヤビン
さっきと言ってること逆やないか?分かりやすくしながら「分かりにくくもしている」ってことか?
麦わらさん
そうなんです!これは深いですよ〜〜〜。この2つの聖句を見てください。
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。(マタイによる福音書13章34節)
祭司長たちやパリサイ人たちがこの譬を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。 (マタイによる福音書21章45節)
オヤビン
・・・・・・。
コブン
・・・・・・え。 捕らえようとしたんですか・・・?
麦わらさん
そう。譬えで話したけど、意味が分かったらイエス様を捕らえようとしたんだ。
オヤビン
つまり、譬えで話すのは、あえて分からないように話すことで「自分の身を守った」てことか?
麦わらさん
イエス様は人々の霊魂を救わなければならなかったんです。反面、邪魔をする存在がいます。(それは後日お話しますね!)
イエス様がされることは、神様がなさりたいことです。神様の歴史を広げるためには知恵が必要だったんです。
コブン
邪魔されないための知恵が「比喩」ってことですか!
麦わらさん
当時の人たちはイエス様の使命を分かっていませんでした。「群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。 」とあるように、イエス様を預言者だと思っていた人もいれば、キリストだと分かった人もいれば、ただの田舎者と思っている人もいました。
麦わらさん
イエス様があからさまに全てを話してしまったら、多くの人はイエス様についていけなかったんです。
ついていけないということは、イエス様の立場からすると「救うことができない」ということです。
オヤビン
それは致命的やな・・・。
麦わらさん
人々を救うためには「段階」を踏まないといけないんです。イエスがキリストだ!!と悟るためには、熱心に信じて御言葉に従ってこそ分かります。
コブン
なんか・・・イエス様の立場って、、すごく、難しかったんですね。。
麦わらさん
そう、私達が思う以上に、難しい状況だったんだ。
オヤビン
うーーん。なんか分かった気はする。でも、それによって今の時代もこんがらがっているのは事実やな。
麦わらさん
そう。最後にお伝えしたいのはそのことです!