今週の御言葉をイラストにしました^^
本当はもう一枚書いたのですが、載せるのは止めました!秘密です!笑
<知らない盲人>と<神様の新しい歴史>
このような主題で先生が御言葉を伝えてくださいました。摂理ではよく「無知」の話が出てきます。今回は「知らない」ことが<盲人>だとおっしゃり、知らないことで起こった過去の様々な事例を出してくださりながら、私たちが今”盲人”になっているところは何かを悟らせ、神様がくださる祝福を得られるように一つ一つ教えてくださいました。
神様が祝福として遣わしてくださったイエス様。イエス様がどういう方なのか、当時一緒にいた人たちの中でも本当に知っていた人はごくわずかでした。
そして知らない人たちは反対し、悪評し、殺しまでしてしまいました。
今では「イエスはキリスト」だと世界中の多くの国で認めていますが、当時はイエスを信じていると話せば、無残な殺され方をしました。ローマの大迫害は世界史で学んだ方も多いと思いますが、円形競技場でクリスチャンたちはライオンたちの餌にされ、十字架に架けられ火あぶりにされました。
イエスを信じたら、普通に見たら良いことはひとつもないように見えます。
パウロも最初はキリスト教を大迫害していました。パウロは熱心に律法を学び、その時代のユダヤ人たちの言葉を絶対に思っていました。それゆえに、イエス様が語る真理の御言葉を正しく聞けませんでした。
脳が間違った思考を受け入れてしまうと、どんなに正しいことを話しても、自分の主張が絶対に正しいと思って受け入れません。そういう人を、きっと周りで一人でも会ったことがあるかもしれませんね・・・。(もしかしたら自分がそのようにしているかもですね・・・)自分の論理、主観、こういったものを中々手放すことができなくて、対立し、意見を取り入れることができなくなります。それゆえに、大きな損をしてしまうこともあります。
新しいものを受け入れるときもそうです。特にエジソンやガリレオなど、その分野において前例にない法則を発見をしたとき、多くの人がその話を信じませんでした。むしろ反対し批判する人が多いのが歴史を通して学ぶ悲しい実情です。
イエス様の時もそうだったのです。律法を本当の意味で完成させる新しい御言葉をイエス様は御子と共に宣布されましたが、多くの人がその教えを受け入れませんでした。とくに熱心に神様を信じていたはずのユダヤ人たちが信じませんでした。
自分たちが信じていた律法と違うことを話すと言って、イエス様を反対しました。そうではないのに、彼らは人々がイエス様についていくことを見て、焦り、なんとかしてあいつを殺そうと企みました。神様を熱心に待っていた人たちだったのに、神様が送られた「最も待っていた存在」を知らずに殺してしまったのです。
このように「新しいもの」に対して私たちはあまり柔軟ではないみたいです・・・。
他人事ではない話のうちの一つですよね。前例がないことに対して、臆病になるのは人の心理なのかもしれません。でも、だからこそ神様は強く私たちに教えてくださいます。
「知らないことが盲人だ」
「正しく学びなさい」
「自分の考えを捨てなさい」
一旦コップも空にしてこそ新しい水を入れられるように、新しいものを見たり聞いたりしたときには、一度既存の考えを捨ててみましょう。そしたらもっと冷静に分別し、間違ったものは捨て、祝福は祝福として受け入れられるようになると信じます^^