最近夢を見ました。
教習所の夢だったのですが、とにかく遅刻して、受けるべき技能も受けられず、その技能の手続きをしている間に受けようとしていた学科も受けられず、ひたすら時間に乗り遅れる夢でした。
そんな夢を見た麦わらさん、思い当たることがたくさんありすぎます。笑
過去実際に受けるべき授業に遅刻して<受けられずに終わる>という体験をしたことがあるのですが、「分かったらそこで寝なかったよ!」と後悔したことがあります。
万事、大小のすべてのことが「時と機会」がある。
アーメン。
こんな御言葉を聞くとあの聖句が思い浮かびます。
3:1天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、3:3殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、3:4泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、3:5石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、3:6捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、3:7裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、3:8愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。3:9働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
3:10わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。
(伝道の書3章1節〜11節)
わ〜こんなに全部「時」というのが関係してくるのだなあ!
このように、毎日何をするにしても「時」を掴まないと生活を治められない現実があります(T_T)
仕事も「この時はコレをやらないと!」という仕事があって、それをしないと後で自分の首を締めるものが必ずあります。
コールセンター時代の時も、お客様とこの時間に連絡するって約束したのに!あ!過ぎてる!みたいな失態がないようにすごい気をつけました^^;
<生活の機会>は「時間」と一緒に毎日いつも来て、去る。
学んで神経を使ってこそ、「自分の生の機会」を分かって、その機会をつかんで使う。
生活もそうですよね。
この時間にそれをやらないと、あとでできなくなるような致命的なもの・・・!
このブログがいつもそうです^^;笑
記事は早めに書いておかないと、日常生活が始まってからだと本当に書くのが難しいです・・・。
私は外に出ることが多いので、最高に扱いやすいパソコンで記事を書くためには、家を出る前に書かなければいけません。
外に出ると帰ってくるのは夜になるので、書く時間が限られてしまっています。これは仕事をしていてもしていなくても同じなのだなと感じました(TдT)トホホ
つい先日、まさに時と争った一日を過ごしました。
まず一日のはじめが「オワッタ( ;∀;)」から始まりました。(朝のお祈りは完璧だったのに、二度寝してオワッタ)
そしてやるべきことの順序も当時予定した順序ではありませんでしたが、なんとか隙間時間に行って、自分がやろうと思っていた大小合わせて6つのことをなんとか終わらせました。残念ながらいろいろ含めると最悪あと3つのことはやらなければいけなかったのですが、これらは完全に時を奪えませんでした。。
瞬間瞬間「それに該当する機会」は過ぎて行く。
瞬間瞬間、時間と共に一緒に来て去っていく生活の機会。
本当に熾烈な争いです(T_T)鄭明析(チョンミョンソク)先生は痛快すぎる比喩で説明してくださいました。
たとえば<自分の恋人>が敵に捕まっていて、何時何分にどこどこの地点を通るとしよう。
その地点で前もって待機して、両手で自分の恋人をとらえる準備をしていて、敵が自分の恋人を連れて数秒のうちに瞬間通り過ぎる時、その時!敵を力強く押して絶壁の下に落とし、瞬間自分の恋人を連れて出て来なければならない。
敵が10分後にあとをついてくるとしよう。また瞬間の機会をつかんで、恋人と一緒に敵を押して絶壁の下に落とし、痛快に勝利しなければならない。
こういうやり方で「命を懸けてやる人」だけが、まるで敵から自分の恋人を救うように「機会」をつかんで勝利して、痛快に得る。それが一生有益になる。(鄭明析先生の御言葉より)※聖句以外同様
なるほど、本当に命がけ…(´;ω;`)
今ブログを書く機会を掴んでいるのも、実際命がけです笑
今日も1日があっという間に過ぎ去ってしましますから、
主婦の方も働いていらっしゃる方も学生の方も、自由な方も、みんな条件は同じ「時」という時間・・・
必ず今日行うべきことを行って、生活の中にやってくる機会を全部掴めるようにがんばりましょう(^^)!