あなたたちの生(せい)の目標が何なのかによって、
あなたたちの生の「方向」が変わる。
(摂理の御言葉より)
神様はこのようにおっしゃいました。
麦わらさんはこの話を聴いて「うあ〜〜〜」と思いました。私、目標を失っているんだなって思ったからです。
会社に入ってもう二週間。この二週間で、接する人も変わり、環境も変わり、新しく覚えることも増え、まだ慣れない会社の体制にしどろもどろして、ふうと気が抜けて、自分の部屋に戻ると、ものすごい眠くて布団に入ると3秒で眠ります。
会社に入って二週間で感じたことはこうです。
「状況は一瞬にして変わるな」
「人の心は一瞬にして変わるな。自分もそうだし相手もそうだ」
「その人に気に入られようとしたところで、裏ではこう話す人がいてその話が広がるなら、人に気に入られることは対して神経を使う必要がないな(人によって、その人に対する印象も言葉も違うのを見て)」
麦わらさんは二週間でこう思いました。
「社会って怖いな」
そしていろんな場面と言葉と環境の移り変わりを通して感じたことは、
「あ。私、物質、人、環境ばかり目が向いているな(本来の目標を見失っているな)」
でした。
あ〜〜
なんてこった。なんてこった。なんてこった。
こんなに簡単に目標って見失っちゃうんだっけ?
こんなに本来の目的って見えなくなっちゃうんだっけ?
人に意識を集中させたところで、その人が今日もそう思っているとは限りません。ああ言えば裏ではこう言っているから、人の言葉に神経を使っていたら脳が疲れます。無駄な神経をすり減らします。
だから知恵がないといけないんだなって思いました。
誤解があってはいけないので訂正しますが、
会社はとてもいい環境だし、笑いもたくさん、とっても支えてもらっていいところなんです!
でも、なんというか、その人のいないところでああ話したりこう話したりしているのを聞くと、私もいつかあの立場になったら、ああ言われたりこう言われたりもするんだろうなって思ってちょっと尻込みしました。
なんていうんだろう。でもそれがどうのという話ではなくて、
【自分がそこに神経を使って翻弄されていること】自体が、「ズレている」ことなんだと思うんです。
今日の内容の焦点としては、自分のことなんですよね。ああ、なんで私目移りしちゃってるんだろうって。
まるでイエス様と船を同乗している弟子たちが嵐を怖がり、波を見て恐れているみたいです。イエス様がいらっしゃるなら恐れることはないのに、海を見て、嵐を見て恐れてしまったんです。自分はまるでそのようだなと思ったんです。
本来意識すべき目標を意識できないで、違うところに意識してしまっているんだなって思ったんです。
だから最近伝えられた知恵の御言葉が胸に染みます。
<度が過ぎる意識>は心も体も手もしびれさせ、縮こまらせるので、<知恵>はあまり意識してすることはしない。
<知恵>は「二通りに進行」する。一つは「相手」を見ながら行い、もう一つは「自分の目的」のために行うのだ。
<知恵>は食べて寝ることより、「目的をもってすべきことをすること」をもっと貴重に思い、「義なる生き方をすること」に集中する。
あなたが自由になれないように「誰かが話したこと」があなたを握っているのか、「サタン」があなたを握っているのか、「無知」があなたを握っているのか、確認して実践しなさい。
<知恵>は両方の話を聴いてみて、判断する。
<知恵>は両方とも「長所短所」があれば「こちらがもっとよかった。あちらの方がもっと悪かった」と言わないで「よくわかった」と言う。
<知恵>は将来を見て行う。
世の中で生きていると、いろいろなことが見えるし聞こえてきます。でも私達一人ひとりには、もっと目を向けるべき大切な目標があります。それを見失わないために、知恵をもって自分を守り、神様の願う目的に向かって実践していきましょう!