私が御言葉を聞き始めたころ、まだ信仰もおぼつかず、学生でありながらも、1週間に1回、多くて3回のペースで御言葉を聞いていました。
当時は大学生で、好きなことと言ったら、一人で本屋に行くこと、面白いゲームをすること、そして物語を書くことでした。
御言葉を聞くのは嫌いではありませんでしたが、自分の時間が奪われるのが正直、当時は辛かったです(笑)
とにかく一人になりたがる人だったので、その至福の時間を奪われたくない、という思いが強くて、御言葉もマイペースに聞いておりました。
さらには、大好きなおばあちゃんが倒れてしまったこともあって、1か月間まるまる御言葉を聞かない期間がありました。
その期間、私はおばあちゃんのことや家のことで頭がごちゃごちゃしていました。おばあちゃんが入院している病院に何度もお母さんと足を運んで、お見舞いに行きました。そのときどういうことを考えていたかはあまり覚えていません。しかし、これを通して私は物語をひそかに作りはじめました。
その話は、当時の自分の状況と環境を背景にした作品でした。
誰にも見せていない作品ですが、今でもとっても心に残っている物語です。御子がともにしてくださった作品だと思います。
さて、ようやく自分も落ち着いてきて、約1か月後御言葉を聞きに行きました。そのとき、久しぶりに聖書を開いて御言葉を聞きましたが、ある有名な聖句が元になっていました。
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
7:25雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
7:26また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
7:27雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
マタイによる福音書7章25節~
牧師さんが直々に教えてくださいましたが、やはり、御言葉は正しいなと感じました。そして御言葉のあとに牧師さんと対話する時間を持ちました。その時私は質問しました。
「牧師さんはどうしてこの御言葉を聞くようになったんですか?」
その時牧師さんはいろいろなことを話してくれました。そのままの言葉はもう覚えてはいませんが、私の脳に鮮明に残ったことは、
「世の中で辛い思い、大変な思い、苦しい思いをしながら学ぶよりも、御言葉を聞いて学ぶ方が、早く成長するんだ」
聖霊様が私に語ってくださったことだと思います。
当時私も本当にあらゆる問題に直面し、悩んでいました。そしていくら解決策を見出そうとしても限界がありました。たくさん本を読んでも教えてくれませんでした。また、おばあちゃんを通して様々考えさせられました。家族も砂の上に立てた家のように、状況によって心が乱れて、瞬間地獄になるような場面もたくさん経験しました。
まずは御言葉を学ぶことだ。
岩の上に建てた家のようになる必要がある。
私の中で、御言葉をちゃんと聞いてみよう!と決心した日になりました。
結局御言葉をすべて聞いて、摂理のことも、先生のことも知るようになりました。当時、まだ幼いながらも確信できたことは「ひたすら御言葉が正しい」ということでした。
世の中で称賛される人の言葉、親しい友人の言葉、家族の言葉、あらゆるどんな人の言葉よりも、100パーセント確実に信じられる言葉は、御言葉です。
御言葉は神様の言葉だから、時代が変わっても変わらない岩のような御言葉です。
信仰がなかった私を、ひとつひとつ丁寧に育ててくださった聖三位と主に心から感謝します。