ずっと騒がれていたアメリカ大統領選。
オバマ大統領の広島訪問以来、「誰が頭になるか」で<どういう歴史が起こるのか>変わってくるのだなと感じるばかりです。しかし、今回候補に上がっているヒラリー・クリントン氏も、ドナルド・トランプ氏もなかなか曰くつきのようで、どちらが選ばれてもいささかしっくり来ないような状態であることは、頭の悪い麦わらさんでもなんとなく感じるところではあります。
日本時間、本日朝9時から開票速報がこちらのサイト(日本経済新聞)で流れるようです。
アメリカは巨大な大国。だからこそ、その権力を誰が握るのかで、良くも悪くも大きく偏りが生じる可能性があります。
すごく本音を言うならば、実力や実績うんぬんよりも、まず人格的にもしっかりした方が頭に立って欲しいと願うばかりです。
お互いに引きずり下ろすような発言をしながら、お互い戦い、そうでもしないと大統領なることができない現実。真実なフェアとは言いがたく、悲しい現実です。もちろんこれはアメリカだけではありません。私たちは普段も、比較しながら憎しみ嫉妬して生きることがあります。
(私たちは)互いに競争し、競って戦って<勝者>と<敗者>が出てくるやり方で自分の目的を成して生きていきます。
だから敗者は「あの人が強くて私が負けた」と言って、被害意識を持ったりもするし、挫折をしたりもします。
しかし「神様の中で勝利し成功する方法」は違います。
<神様の法と理致と秩序の「勝利と成功」>は各自「自分の生の場で様々なこととの戦い」で勝つことです。
<悪と不義>を前にして「自分の義なる行ない」で競って勝利し成功することです。(鄭明析先生の御言葉)
神様はお互いに争うことは願っていません。
だから本当は、お互いに力を与えながら、自分の間違いは直しながら、そうやってできたら本当にいいのになあと、思ってしまうのです。
必ずふさわしい方が今回の大統領に選ばれるよう切実に祈ります。