母校である関学へ向かう時、必ず京急線を使います。
その時麦わらさんは、いつも座席に座ってぼんやりと空を見ていました。
10月の空はたいてい曇り。昨日はたまたま京急線を使ったのですが、久しぶりに
学生時代を思い出しました。
当時はまだ、伝道されていなくて、私の心は複雑に絡んでいました。
曇天雲を眺めながら、うっすら丸く太陽がしろーくぼんやり光っていました。
それを見て麦わらさんは考えました。
「私はこの分厚い雲の壁に閉じ込められているみたいだな。
あの白い穴だけがここから出る唯一の方法だ。」
ガタンゴトンと電車に揺られながら、ぼんやりと物語をつくっていたのでした。
麦わらさん、昔から好きな構図がありました。
それは、<天に穴が開いていて、そこに向かっていくような構図>です。もしくはそこに飛び込んでいく構図。
そのとき自分の中に、<地上に存在するネガティブ郷>と<天に存在する理想郷>がありました。
私はいつもその狭間で天を向いて、「よし、必ず行くぞ」と思っていました。
そんなノートを見つけてしまいました。笑
左は、ネガティブ郷と理想郷のくだりで、右は飛び込んでますね!
このノートには人に見せられるのかどうか瀬戸際なノートです。なので瀬戸際くんと呼びましょう。
(瀬戸際くんはギリギリ見せられるラインの内容。見せられないノートは、3冊ありまして、3冊とも日記帳。あまりにも内容が限界線すぎるので、終末くんと呼びましょう笑)
瀬戸際くんには7割絵が描いてあります。うーん、見るとすごくひねくれた絵を描いているのです。
今私がブログに載せている絵がどれほど清くて純粋か、比較するために載せておきましょうか。(恥)
じゃん
わりばし王(笑)※ちなみに頭は野球ボールです
やばいですね。とにかく限界線だったことしか感じられません。神様に救われました。本当に危なかった〜!
現在の絵で消毒。
終末くんによると、最大の限界地点は2010年10月30日だったみたいです。そこで日記が終わっていますが、内容が本当に残念さでくるりと一周してしまうような内容です(ヽ´ω`)
ちなみに終末くんの内容ですが、今度少しずつ書いていこうと思っています!「ええ、やめなよ!」という皆様の心の叫びが聞こえてきますが、もちろん全部は書かず、一部にとどめておきます。
ただ、本当にこんなに赤裸々に日記として残しているのは私くらいなんじゃないかなと思います。自分の限界線、何をしても満たされなくて、この思いをどのようにして伝えたらいいのか、本当に苦しんで悩んでいる文章が印象的です。私の原点でもあり、きっとこのように辛く悩んでいる人も必ずいると思いますので、ちょっとずつ小出しにしていけたらなと思ってます(^^)
もうすぐあれから6年が経つみたいです。曇天雲を見るとその頃を思い出しますし、同時に御言葉に出会い、摂理に出会った頃のことも鮮明に思い出されます。あの時、伝道されて本当に良かったなと、しみじみと感じます。
当時の記憶を忘れてはいけないと思いました。あの辛い時期があったからこそ、今どれほど人生が変わったのかを証できるからです。また、今がどれほど幸せなのかを伝えることができるからです。
ということで、麦わらさんの終末記事を、徐々に書いてまいります〜笑 おったのしみに〜\(^o^)/