今日は突然、力が抜けました。
その直前までは力があったのに、脳みそが重たくなってきて、気持ち悪くなってきました。
「あれれ、さっきまで力があったのに、何事だろうか」と考えていましたが、どうやらお腹がすいたからでした。
歩く力も湧いてこないので、いつもより2倍遅く歩きました。
こういうとき、私は主を呼びます。「主よ、急に力がなくなってしまいました。でもいつも主は隣にいらっしゃいますもんね。感謝します」
頭の中で隣に主がいらっしゃると思ってイメージしてみると、なんだか本当にいらっしゃるような感じがしました。
そしてお互いに腕を組みあいながら、一歩一歩と前進しました。
そのとき、ああ、こういうとき、主を知らず神様を知らないときは、無性に悲しくなったなあと思いました。
私を知っている人が周りにいないときに、力が抜けると、私はさみしくなったり苦しくなったりしました。
ところが今は、そういう苦しみはありません。主がそばにいらっしゃるからです。
しかし、肉は疲れているので、しきりに休みたくなったり座りたくなったりしました。
ちょうど公園が近くにあったので、少しだけベンチに座って祈りました。そのとき、本当に力を受けました。
脳からエネルギーを注入されたみたいに、脳から全身へと力があふれていきました。
「わあ、やはりすごいなあ。お祈りしたらなんだか元気になったぞ。すごいなあ。不思議だなあ。感謝だなあ」
そうして立ち上がると、さっきまで2倍遅かったのに、普通のテンポで歩けました。
こんなことって、考えられなかったのに、本当に不思議だなあと連呼しながら歩きました。
途中女の人が自転車をこいでいるのを見ましたが、「ひとりでこぐのも、限界があるだろうなあ。肉だけの力は本当に限界があるけれども、ひとりだと思うと本当に大変だ。
私は聖三位と主がいらっしゃるって分かるから、力も湧いてくるけれども、ひとりだと思っていたあの頃は、抜け出すまでに時間がかかったし、寝ることで解消していたきがするなあ」
と過去を思い返しました。そしてまた感謝しました。
しかしやはり肉は疲れているので、だんだん歩いている感覚がなくなってきました。あともう少し、と思いながら踏み出す足が、ふわりと浮いている感じがしました。
ここで深く感じたのは「霊と肉のバランスが大切だ」ということでした。
お祈りして精神的な力を受けることは、霊的な力。
しっかり食べて、健康に保つことは、肉的な力です。
さて帰ってきてお母さんが真心で料理してくれた夕飯を食べましたが、本当に幸せを感じました。
今ではピチピチ元気ハツラツです!笑
食べ物も結局人間がいちからつくったのではなく、天の恵み。神様が創造なさった万物です。
そこから肉体の力も受けるのだから、人間は本当に多くの天の恵みに囲まれて生きていると思います。
最後に・・・
摂理に来て、どんなに辛い境遇や環境に置かれても、それを通して学ぶことがあるのだと知りました。
辛い状況良い状況、突然元気がなくなる状況になったとしても、そういう状況が不利なわけではありません。
その状況を通して、主と対話し、天と対話しながら、さまざまな悟りを受けます。
そういうことはもともとしてこなかった私でしたが、ひとりで悶々と良くない考えと付き合うよりもずっと良い過ごし方だと思いませんか。
天と共に生きれば、すべてが発展です。
今日もお疲れさまでした。