春の訪れを感じさせる桜が咲き乱れていますね。そんな桜も、一日、二日、一週間もたてば、緑の葉がちらりちらりと見えてきます。
ほんとうに はかなく瞬間に過ぎ去ってしまうので、どうしてこんなに早いのかと舞い散る桜をしり目に切なくなります。人生もこのようにこうかと思うと、悲しくなりました。
しかしキリスト教福音宣教会(摂理)には、変わらない春の暖かさがずっと続いています。それはどこから来るのかといえば、「御言葉」から来ます。
感謝があふれる人は愛もあふれる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
私たちは、春のあたたかい言葉、感謝をいつも忘れてしまいます。
気づいたら、不満が大きくなって、脳に不平が回転し、口からにじみ出るように愚痴が出てきます。春どころか、冷たい真冬の海水浴場のような言葉が出てきます。え、よく分からない?
こんな感じ?
春のような言葉には生命力があります。人が死ぬところから生きるようになる、力がある言葉です。私たちは摂理で、ずっとそのような力ある春のような言葉を聞いています。だからちょっとやそっとの冷たい言葉で死んだりしません。
鄭明析(チョンミョンソク)先生は、まるで冷たい海水浴場のような場所にいながら、温かい春のような言葉を何年も何年も伝えてくださいます。先生の中に愛があふれているから可能であって、普通だったら絶対にできません。
人に馬鹿にされたら、腹が立ちますよね。低く見られるとすごくいやな気持になりますよね。
私も最近カッとなりそうな言葉と出会いました。すると心の中で、お経のような恨みつらみの声が聞こえてきます。ずっと同じ腹が立ちそうな瞬間がエンドレスに脳に繰り返されます。
でもだめです。本当に先生のように、愛を掴まなければなりません。
もう桜が散って、すぐに春が終わってしまいそうですが、摂理には春がずっととどまるでしょう。御言葉があたたかい春の日差しですから・・・。