摂理でよく「条件を立てる」とか話して、何十日お祈りとか、お祈りの条件を立てたり、何十日◯◯するとかいろいろ条件立てることをします。
私も新入生のときから、40日キッチンの床の掃除をするとか決めて、熱心に床を拭いていました笑 (これは結構いろんな面で効果抜群でした!)
それで、条件という言葉を摂理に来てからよく使うようになったのですが、実際「条件が揃う」てすごく難しいことでもあるんだと思うんです。
例えば団体を作って、他団体と交流しながら、もっと自分の団体と日本の多くの団体と繋がり、さらに大きな組織をつくりたい!と思ったとしましょう。
この条件が揃うためには、何が必要でしょうか?
1.人手が必要です
2.団体のコンセプトを作る必要があります
3.実際に団体として企画をつくる必要があります
4.持続させて、実績をつくる必要があります
5.ホームページをつくったり、SNSで広告して周知することが必要です
6.人を集めることが必要です
7.他団体の誰かと繋がることが必要です
8.交流する企画をつくることが必要です
9.…
といろんな条件が必要になってきます。
大きなことをするためには、小さな下積みが必要になります。
その下積みがあってこそ、大きなことができるようになるからです。
私もいろいろ企画したり、アイデアを出して取り組んでみようとしたとき、様々な壁や、突破できないものを感じるときがありますが、それは条件が整っていないからだなあと思うのです。
特に「人」は条件においてものすごく重要です。
元気がいい人が3人いるのと、
元気が良くない人が10人いるのとでは、
やれることが違ってきます。
3人でも想いが1つで元気があれば、なんだってやれます!
でも10人いて、想いは1つにしてみるけど、それぞれのことで精一杯、元気がない、だとやろうとすることもできなくなります。
また環境という条件もとても必要です。
経済的なもの、立地的なもの、時(季節)に合っているのか、物質的なもの…などなど、惜しくもこれがなくてできなかった…と、条件が揃わず出来ないことがたくさんあるのではないでしょうか。
だから、逆に今いる場所、今できてることというのは、「条件が揃っている」からできていることになります!
またもう少し先を見るなら、今「未来における条件を立てている時」でもあります。
私は摂理に来て、やりたかったことや夢が様々叶えられた体験をしたことが有りますが、それも大きなことがどーんとできたのではなく、
「学ぶ条件」「成長する条件」「もらえる条件」「行う条件」など様々な過程を踏みながら、成したかったそれができるようになりしました。
不思議なのは、全部条件が整ったからそれが叶うというよりも、
それをやりつつあれが叶い、あれをやりつつこれが叶う、といった感じでした。
叶ってからも、続けてやらなければ意味がありませんよね。
例え欲しかったパソコンが買えても、パソコンを使わなければ買ったことに意味が無いし、念願の舞台で公演できるようになっても、練習して舞台に立てるように取り組まなければ舞台に立っても恥ずかしいです。
今いる位置は、条件が整ったからできることですから、今を継続させて、次の夢、神様が与えたいと願うものを得る条件を続けて続けて立てることが、希望です。
だから今やっていることは決して無駄ではないし、今この位置だからこそできることがあります。
ひとつひとつ、まじめに、誠実に取り組めば、きっともっと良くなる!と信じて、私も頑張ります^^