鄭明析先生の弟であるポンソク牧師。
ポンソク牧師は、見た目も精神も本当に軍人のよう!ポンソク牧師は歴史にも詳しいしいろいろな宗教にも詳しいし、世論にも詳しいです。だから「宗教の人はぶっとんだ人(変な人)(世の中から外れた人)ばかりだ」というイメージが覆されます。
しかしビシっとした厳格な印象だけかというと、そうでもありません。
ポンソク牧師の朗らかな笑みは、あまりにも深い心情と愛を感じます。
人間は絶対的に幸せになれない。
上手く言ったらほんの少し享受して、そこで終わる。
また次の欲求が出てくる。人間に欲がなかったら発展できません。今日、今生きていることに価値を置いて、貴重に思っているものが幸せです。
幸せは心で感じるものです。目的が何かを成すこと、お金を稼ぐこと、それは幸せではない。
今日この世に生きられることも神様がしてくださったことだ。
この話を聞いて、「わあ…」と思いました。
真の幸せって何だろう、そう考えるようになりました。
確かに、何かを得た瞬間は幸せを感じます。目的を達成したときや、願っていたことを得た時、
でも、幸せを感じるのは、それを得た【その瞬間だけ】です。
幸せを【今】感じているでしょうか。神様が生かしてくださっている【今この時】どれくらい幸せを感じているでしょうか。
何か特別なことがある日だけが幸せ?
でもポンソク牧師は言います。
「先生はいつも「感謝しなさい」」
ポンソク牧師はいつも先生のことを話します。兄弟ですが、「ミョンソクは」とか「兄は」とか言いません。「先生」と呼び、とても敬愛しています。ずっと共に過ごしてきた兄弟ですから、私達の知らない先生の姿もたくさん見ています。だからこそ、先生がどれほどのことをされてきたのか、肌で見て、感じ、学び、話されます。
鄭明析先生は御言葉の中でも「神様に感謝しなさい。讃美しなさい」と話されます。そう話しながら誰よりも神様に感謝します。
感謝したとき、ありがとうと伝える時、とても嬉しいですよね。嬉しさが共有できたときは、幸せがもっと大きくなります。毎日に感謝したら、毎日幸せを感じます!でも、「今この時」どれほど感謝ができているでしょうか。感謝も特別な時にするだけならば、その時だけが幸せです。
どうして自分は不幸かと思ったら、他人と比較したら、不幸です。不幸の沼に入ったことです。
ポンソク牧師が語る言葉は、とても深みがあり説得力があります。
でも、そんなポンソク牧師も昔はとても激しい性格の持ち主だったと聞きました。
ポンソク牧師も鄭明析先生から数多くのことを学び、共に経験されて、今のような深い考え方を持つようになりました。
どれほど多くのことを学んだら、このようになるのだろう
私はポンソク牧師を見ながら、とても不思議に思いました。同じ人間なのに、語る言葉がこんなにも違う。
私も考えを正して学んでいけば、このように考えを深くしながら、人生を生きることができる。そう感じるようになりました。
ポンソク牧師、帰国する人のために長く祈られていたよ
そう、メンバーの方からLINEが送られてきたのが、ちょうど私が帰国する日。
その愛は、月明洞を離れても、しっかり届いていました。天から学んだ愛で、私たちは繋がっているんだなとしみじみと感じました。