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カルト宗教にありがち「入会」と「脱会」〜摂理の実態は?〜

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カルト宗教について調べてみると、引っかかるキーワードがあります。それが

「入会」
「脱会」

以前摂理はカルト宗教か?麦わらさんが摂理に通う理由で深く長く摂理はカルトなのかなあ、ということを長々と書きだしたのですが、そこに触れていない言葉がありました。それが今回の「入会」と「脱会」についてです。

摂理はカルト?入会と脱会の実態

なぜ「入会」という言葉があり、「脱会」という言葉があるのでしょうか。その組織に属しているのか、そうではないのか、メンバーとしてカウントする上で、こういう言葉を使われることがあると思います。カルト宗教にはよく「入会」という言葉や「脱会」という言葉が使われている印象があります。ジムに通うにしても「入会」する必要がありますが、なぜだか人は「入会」というと、ハードルを感じます。

入会するメリットとデメリット

入会するメリット

入会をして良いことは、正式なメンバーとして活動できること以外にも、入会した方限定の特典などがつくことですね。私もジムに通っている時、プロテインのような飲み物を割りと安く手に入れることができました。(そんなに買いませんでしたが)あと、たまにペアストレッチが無料で受けられたのも中々嬉しい特典でした。入会した方でないと受けられない恩恵がありますよね!

もう一つ良かったのは、そこのジムのシャワー室を気軽に使えることでした笑 私は可能な限りシャワーを早く済ませたいタイプで、会社帰りにジムで汗をかいて、そこでシャワーができるのがささやかな至福の時間でした。入会を決心する上で多くウェイトを占めたのがシャワー室の無料利用だったかもしれません笑

入会するデメリット

逆にデメリットとは何かというと、”お金がかかる”ということです。もっとザックリ言うならば”責任”が生じることだと思います。ジムの場合、入会したら週のこの時間帯はうまく調整して行かないと!と思うようになります。月会費が生じるから、もとは取れるくらいには通いたいと思うのが心理なのかなあと^^;入会したら、責任感が生じて行かないとと思うわけですから、入会前よりもっと真剣に考えなければいけなくなります。(しかしジムの場合、行かなくなってお金だけ取られていくパターンにはまる方も少なくないそうです(T_T))

あとは退会手続きを踏むのが面倒くさいと思う方もいらっしゃるのかなあと思います。そして通う分だけ、「ちょっと辞めにくいな」と思って退会したいけど遠慮しちゃう方もいらっしゃるかもしれませんね。私は前者も後者も当てはまるタイプなので、ジムを辞めるときも結構時間がかかりました。ジムをやめようと思ったのは前職を退職するにあたって、通いづらくなることが理由のひとつでした。が、結構トレーナーさんにも顔を覚えてもらっていたので、ちょっと言いづらいなあと感じて中々退会手続きに踏み込めませんでした。でも通えないままお金がなくなるのはかなり痛いので、勇気を振り絞って退会手続きをしました。さみしいです〜とスタッフの方に言われましたが、決心したことなら大丈夫!退会できます!笑

そんなこんなで一度入会すると、入会した分の責任を果たそうとして時間をそこに投資する必要性が出て来ることや、お金を払わないといけないこと、また辞めるにしても退会手続きを踏まないといけないことなど、具体的な責任が生じてしまうのが入会のデメリットなのかなあと思います。

摂理の入会と脱会の実態とは?

摂理で「入会」てあるのでしょうか。私は正直なところ入会という言葉を聞いたことないから分かりません。が、入会という概念はないと思います。その代わり「メンバー」や「会員」という言葉は聞いたことがあります。ところでそのメンバーというのも一体どういう基準で決められているのかはっきりしたラインが明確なのかどうかというと、う〜ん、私はハッキリとは分からないですね!でも、お伝えできる範囲はあると思いますので、一つ一つ書いてみたいと思います。

宗教の「入会」が怖い理由とは

宗教の「入会」と聞いて皆さんはどう思われますか?私は一言で「怖い」と思います笑 なぜなら、宗教は「思想」に関わるからです。思想って目に見えませんが、明らかに人生を変えてしまう力を持っています。政治を見ると分かりやすいのかなあと思います。社会主義国家だとか、民主主義国家だとか共産主義だとか思想を掲げて政治をしていますよね。それによって国が何を重要視するのかが変わってきます。それによって具体的な政治が変わり、民衆の思想が変わり、生活まで変わります。北朝鮮を見て怖いと感じない人は少ないと思います。どうしてあんなにミサイルをバンバン打ち続けるのか、本当に理解ができないじゃないですか。普通はそうしないけれども、思想が違うからあのようにするのだと思います。

思想はそれほどに怖いものです。私は大学で主に歴史を学んでいましたので、その威力を過去を通して経験させてもらったなと思います。ドイツの歴史や文学を主に勉強していたときは、やはりヒトラーは外せませんでした。彼の反ユダヤ主義の思想、そして巧みな政策で自らを最高峰の位置に高めて、ドイツ民族の英雄のごとく国を支配しました。日本も当時天皇を神格化して、第二次世界大戦後に「人間宣言」を行ったのは有名な話です。思想によって国の運命が左右されていきました。

宗教はそれこそ「思想」が主な原動力になっています。そこに「入会」とまで言われたら、入会を機にまるでその思想と結婚するようなものです。その思想が正しいものであれば有益ですが、もし間違った思想であれば、貴重な人生が台無しになります。だから入会を迫られたらまずはちゃんと見極めなければいけません。もしその思想を聞いてモヤモヤするところがあるならば、一回考えたほうがいいと思います。自分の理解不足でわからないだけ・・・という話し方をする方も見たことがありますが、曖昧なまま信じることが一番怖いことだと思います。宗教は「自分の人生まで変えるものだ」と思って慎重に選んでくださいね!

宗教の「入会」が怖い理由とは②

②までつくっちゃいましたが、もう一つ怖い理由をあげるなら、入会することで「家族」「友人」「親戚」「知り合い」にどう影響が出るのか考えるからです^^;入会したら、正式にそのような人ととして立ち位置が変わってきますよね。もしこの宗教に通っている人だとバレたら・・・て誰もが心配しますでしょう!いや、ガンガン伝えたいという方なら別に怖いとか思わないと思うのですが、普通、宗教に入会したって聞いたら誰もが心配します。日本人は特にそうです。(外国なら逆に宗教に入っていないことに心配されと思いますが・・・・)私もだからもし入会って言葉が御言葉を聞くより前に聞いたら、間違いなく入会しなかったと思います!世間体、気になりますからね!笑

摂理のメンバーや会員になるには「入会」が必要か?

もし仮に摂理に入会という手続きが必要とされたら、その手続きは踏む必要はないです!なぜなら入会があってもなくても、結局判断するのは自分自身だからです。入会の目的はなんでしょうか・・・?「人を多く呼び込みたい」「母体数を増やしたい」などいろいろあるかもしれませんが、摂理で入会という手続きほどいらないものはありません。意味がないからです。

摂理は簡単です。「御言葉を聞いてみたいですか?」「聞いてみてどうだったですか?」それで何かを感じた人は続けて聞き続けますが、そうでなければ聞かないと思います。人間の自由意志が尊重されていますから、強要することはまったくありません。御言葉を聞いてみて「これはなんかすごいな」「自分のためになるかもしれない」そう思ったならば、続けて聞いてみたら良いと思います!私も純粋に聖書についてのお話を聞くために行きました。入会してから行くとか、書類が出されて印鑑とか、そういうことは一切ありませんでした。私がずっと抱えていた問題が、御言葉を聞く度に解かれる感覚がありましたので、聞きに行っていたのです。

また御言葉を聞いた後に「あなたは摂理に正式に入会する」という言葉もありませんでした。(そもそも入会という概念が…)

摂理は確かに、宗教団体の名前ではありますが、”摂理”という言葉は「自然の摂理」とかに使われるように、

1 自然界を支配している法則。

2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。  goo辞書より

(2番目はなんか、難しい表現ですね(笑))神様がこの地を創造したすべての法則が「摂理」です。なので摂理に「入会」というのは、変なニュアンスに感じています。うーんと、みんな摂理に属してるんじゃないかな、みたいな。(これは麦わらさんの感覚ですが)

摂理の「会員」や「メンバー」とは?

定義はよく分かりませんが、自分が続けて摂理に行きたい!と思って続けて通われている方は、基本会員とかメンバーとか呼ばれるのかなあって思います。私はそうですね、今や摂理の会員、メンバーと呼ばれる人になりました!すでに5年も通っていますし、今更メンバーじゃないという方が不思議な話です笑 兎にも角にも何にせよ、大前提としては、そんなにメンバーとか会員という言葉自体に固執するものではないと思います。ただ一般的に、摂理というのは宗教団体の1つと思われていますから、そこに所属している人を「メンバー」とか「会員」と表現することは必要になってくると思いますからね^^

これはあくまで私の感覚ですが、2000年前イエス様を信じていた人たちが「入会」とか「メンバー」とか「会員」とかなかったけれども、イエス様を信じて神様を愛して従ってこられたみたいに、摂理も同じかなあって思っています。

麦わらさんがもし「入会」を迫られたら

メンバー「麦わらさん、御言葉を聞いてみたいですか」

麦「はい、ちょっと気になります!」

メンバー「わかりました、それではまず入会してください^^」

麦「え、入会?入会しないといけないんですか?」

メンバー「はい、入会しないといけません」

麦「(親になんて言おうか。入会とか、お金とられないのかな。変な所だったらどうしよう。なんか怪しいよな。ああ、もし通っていることがバレたりしたら何か面倒くさいな。う〜ん、ああ、分からない。でも怖いし)

じゃあ、遠慮します。」

間違いなく、ええ、たしかに間違いなくこうなっていたと思います。

私はあまり嘘も上手ではありませんでしたし、すぐに顔に出たり、怖いとすっごい内心引くんです^^;これはですね、就活も当てはまります。私すっごい会社不信なんですよね笑 騙されたといったら大げさですが、正社員かと思いきや、気がついたら、え、業務委託なの?完全歩合制なの?みたいな会社に入ったことがあったんです^^;それで思いっきり会社に対する印象が変わりました。そのときから「会社=怖い」「会社=ブラック」みたいな感じにまでなりました笑 なので、すごい慎重なんです。ほんと、入会なんて言われて簡単にはしません!そして摂理で入会を迫られたことは本当にありません・・・!

私はまず御言葉をひとつひとつ学んでいきました。そして聞けば聞くほど、神様の存在が感じられるようになっていきました。神様が生きていらっしゃるんだな!ということが分かって、神様はどんな性格で、どんな風に人類を愛していらっしゃったのかということも分かるようになりました。またどうしてこの地を創造されたのか、どうして人間は創造されたのか、というところも、聖書をもとにはっきりと分かるようになりました。驚きでした。物語ではなく、本当に実感できるように教えてくださったから。どれほど人間に片思いをされていらっしゃるのか、その神様の心が感じられるから、普段の生活の中で神様を意識することが習慣になっていったんです。入会うんぬん、脱会うんぬんもありません。御言葉がすべての始まりであり、御言葉で神様が分かるようになっていきました。

もちろん御言葉のすべてが最初からすんなり入るものばかりではありませんでした。なかなか受け入れがたいものも当然ありました。霊の存在も、天国も地獄も、いきなり聞いてすんなり理解できるわけではありません。でも、よく考えてみればこの世の中にも天国のような場所があれば、地獄のような場所も存在しますし、死後にそういう世界が「ない」という保証もありません。霊も見えないですが「どうして人間が生きているのか」根本を考えると、霊が存在しているという考えの方が納得できてしまいました。肉体だけの世界ならあまりにも虚しい世界ですからね。

前述したように私は「宗教が一般的に怖いし嫌だ」という認識が強い人でした。なので入会とか堅苦しい言葉が出たら絶対に続けて行きたいと思いません^^;また強制的に行かされるようなところに、私は時間を出したいと思いませんでした。どれほど褒められても、どれほどいい言葉を並びたてられても私は絶対に信頼のおけないところには行きませんでした。

どれくらい麦わらさんは慎重なのか?

麦わらさんの慎重さをあえてアピールしてみましょう!笑

以前、絵の小さなコンクールに応募したことがありました。それから何度もその企画した会社から電話が入るようになりました。「あなたの作品はとても才能を感じる」と。何度もアプローチがありました。それで私はとても不審がって、電話にずーっと出ませんでした。さすがに電話が10回くらいになったので、まあここまで言うならとようやく話をちゃんと聞いて、実際に直接その人の会いに行くこともしました。それで、私の絵をものすごく褒めてくださったんですよね。「すごく良い表現だ」とか、「とても個性を感じるし魅力がある」とか、本当に良く話してくださいました。(どんな絵かというと、猫の絵をかきました(笑))

でもそれでも私がそこに折れなかったのには理由がありました。実はもう、コンクールの主催元を調べて、口コミを見ていたからでした。もともとその会社について調べていて、このような話をされる、と分かっていたのです。

褒められた後に、スクールに通ってみないかと勧誘もされました。それでこれも口コミに書いてあったから「来たな」と思って、ニコニコしながら丁重にお断りをしました。お金も高かったし、実際に行く余裕もありませんでしたから・・・。今振り返ると、絵に自信を持てるきっかけをくださったと思って感謝しているのですが^^;それくらい私は美味しい話が来てもなかなか信じませんでしたし、何事にも甘い話は事前に調べて対策までしました(笑)ちょっと変なニュアンスを感じれば頑なに断るタイプでした。

御言葉を聞き始めるときもそうでした。何か宗教的な違和感が感じるならば、私は絶対にここを離れよう。そう心の底で決心しながら聞いていました。家族にも迷惑をかけたくないし、通っているkとおは私が本当に納得してから話そうと心に決めていました。

そんな麦わらさんでしたから、「入会」という儀礼的で堅苦しい言葉が見えるようであれば丁重にお断りするか、すっとその場から姿を消すか、涙で祈ったことだと思います。
ところが私の前に「入会」という文字が現れることは、実際今に至るまで聞いたことはありません。

カルト宗教によく聞く「脱会」はあるのか?

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ジムを脱会しようかどうか迷ったことはあります。しかしそれ以前に通っていた摂理で「脱会」という言葉は今まで私は聞いたことがありません。カルト宗教でなんとなくパターン化される話題、「脱会させないために強制的なルールを強いる。連絡が頻繁にかかってくる。なぜ脱会するのかと脅されたり、責められる」そういう話は摂理にはありません。

脱会という言葉はなくても、摂理を離れた人はいます。その場合はだいたいこんな感じ。

あれ、最近○○ちゃん見ないけどどうしたんだろう?
連絡も通じない・・

思ったよりも、ナチュラルです。

脱会することを強制的に止めることはあるのか?

アルバイトを辞める1か月前のシフトの入れ方を考えてみると、人間の心理は似たようなものだなあと感じます。「私、仕事やめます!」と声高らかに宣言する人よりも、徐々に徐々にシフトを減らしていきますよね。これと同じように摂理でも「私は脱会します!!」と声高らかに宣言する人、いません。そして「お願いだから脱会するな!!」と泣いてすがりつく人もいません。そもそも脱会という言葉を聞いたことがありません^^;

もちろん、同じ御言葉を聞いたメンバーだから、なんで来なくなったのか理由は知りたいし、話だけでもしたいと思うのは当然です。会えるならば何か食べよう!と言って会って話すこともするかもしれません。けれどもそこで無理やり恐喝して「どうしてお前出たんだ」と「戻ってこい」と言ったところで何の意味があるでしょうか。無理やり、恐喝して話す理由が見当たらないです。

お金がほしいわけでもなく、人数が減ることにデリケートなわけでもなく、ただ純粋に神様が好きで、御言葉が正しくて、実践することで自分が確かに変化して、たくさん天の愛を受けて、救われていることを感じるから、そしてもっと神様を愛してさしあげたいと思うようになったからそれで行くのであって、「どうしてお前は神様を愛さないのか」と言って「お前戻ってこい」といって脅して引っ張ってきたからと言って戻るでしょうか?

みんな御言葉を聞くことは自ら選択しました。だから聞かないことも自ら選択します。それを無理やり恐喝しながら「聞け」というのは間違っています。

神様はどのような愛をするのかというと、「無理やりしない愛」です。

摂理に「無理やり」はない。

無理やりの愛は「愛」ではありません。先生は「無理やりする愛」についてこのように比喩で教えてくださいました。

一人の男が一緒に暮らす女に「私は皇太子だ。私と結婚するためにはこのようなものを備えなさい」と言ったら、女が無理矢理に備えるので、あとで一緒に暮らしても、しかるべき味がしない。そして、女は最初のようにいつも男が先に教えてくれ、話してくれ、愛してくれてはじめて愛するようになるから、満足できない。

愛を無理やりしたところで結局お互いに満足はありません。人間同士がそうです。無理やりにしたら他人同士でも友人同士でも関係が悪くなるのに、私たちを愛する神様が無理やりに連れ戻そうとするでしょうか。先生も無理やりしなさいと言ったことはありません。

もし無理やりにする理由がある人は、摂理とは全く関係のない別の目的がある人です。神様を愛することに「入会」も「脱会」も必要ありません。ある程度学んで本当に分かるようになれば「メンバー」という枠内でカテゴリー化されることもありますが、その言葉自体に価値なんてありません。

神様向かう愛、主に向かう愛、真の愛の心、これひとつです。
複雑ではなく、とってもシンプルなのです。

摂理はカルト的な要素はあるのか?

摂理にはカルト宗教で見られる強制も変なルールもありません。私は先生と直接お会いしたこともないですし、先生は教祖で女性メンバーと変な関係があるとかないとか、本当に間違っている内容だと思います。私はただ御言葉を聞いて、お祈りをしながら、確かに神様が私達にいつも共にしてくださっているということを深く感じるようになったから摂理に通うようになりました。

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天の愛は、本当に美しいです。どれほど美しいのかというと、自然を見て美しいなと感じるように美しいです。2000年前、イエス様がいらっしゃって神様が宗教を導いて来られましたが、そこにはいかがわしいものがありませんでした。貧しい人を愛し、自らは自制し、天を愛する純粋な愛です。摂理もそのように、純粋にただ神様を愛して、信じて、自分をもっと謙虚につくり、人としてちゃんとした人になるしかないような、そういう御言葉があふれています。

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麦わら
演奏することと、絵を描くことが好きです^^ 楽器はカホンを叩いています。普段はあまり大きな声を出しませんが、讃美するとすごい発声が良くて自分で驚きます^^;摂理の多様な”味”を毎日発信♪

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