私が過去、「あ〜できなかったな結局。なんて自分は中途半端なんだろう」とか思って
落胆したことがあります。
信仰を持っていると、いろいろと考えが複雑になることもあって、
「上手くできなかったのは、御心じゃなかったからかなあ」
「始めたことが間違っていたのかなあ」と思って、さらに落ち込みます。
自分一人ではなく、神様と共に行いたいから、神様の思いと違ったのかなと思うと、恐らく
摂理人たちは、倍辛く思うと思います。
私もそのように思ったことが何度もありましたし、その度に、自分の信仰と見つめ合い、自分のたりなさを感じ、
何をやっても、自分でやってるものじゃないのかなと不安になったりしました。
でも、過去思い返してみて、今このときこんなことやってもいいのかなと思って始めて最後まで行ったものは、
結果とてもいい経緯になりました。
まず、物語を書いて発表したときもそうでした。
当時はもっと天がやってほしいと願っていたものもあったのですが、どうしてもそれをやりたくありませんでした。
それで、自分が輝けない現実がとても嫌で、爆発して、自分のやりたかったことをやりました。それが物語を書くことでした。
本当に書きたくて、書くことで、神様のことを伝えたくて書きました。
それが人に見られようが見られまいが、それでも書きたくて書いたのでした。
人からは良く思われないかもしれなくても、自分は今本当にこれをやりたい!
それをやりました。天の前で、申し訳ない気持ちと、後ろめたい気持ちとが織り交ざりましたが、
それでも受け取ってくださるだろうという思いも持ってやりました。
そして、それを全部完成させたのでした。
でも、それが花開いて、見せようと思った人でない人が見るようになって、結果映画にもしました。
この経緯を私は忘れられません。
今も私は人に言えないのですが、やろうと思って取り組んでいることがあります。
人に言うと何か言われると思ってこれも密かに行っています。
でも、私はやり遂げてから話そうと思っています。
もちろん相談して進めるべきこともありますから、そこは分別しないといけませんが、
自分の中途半端な性格を絶対に直したくて、ただ御言葉通りにやったときにできた!と自分が体感したくてそれをしています。
もちろん将来的なことも含めてですが・・・
「今までちゃんとやらなかったことはできなかった。ちゃんとやればできる。ちゃんとやれば不可能なことがなくなる」
最近鄭明析(チョンミョンソク)先生が教えてくださいました。
この言葉を聞いて、私は胸がすっとしました。
ああ、そうだったんだな。今まで実にならなかったことは、人がこんな風に言ったからとか、御心でなかったからとか
そういうことではなくて、自分が最後までちゃんとやらなかったからだ。そう思いました。
だからこれからはちゃんとやろう!そう思いました。
未練も後悔もなく、やりたいと思ったこと、ひとまずちゃんとやります!
ちゃんとやった上でダメになったことには、もちろん神様が御心でなくて止めるものもあると思います。
でも、一旦は感動があるものは、お祈りもしてみて、それでもやらないと、何かしこりが残るようなら、
ちゃんとやってみようと思います。
そうしたらそれが例え自分に合わないとしても、
ああ、これは自分に本当に合わないことだったんだな、とそれはそれで悟るようになります。
やるならちゃんとやること。
御言葉を実践すれば、必ず得るものがあると信じます!