摂理は宗教?
摂理は宗教ですか?と言われると、「そうです!」と答えるのがピンポン!正解だと思います。
Wikipedia先生に伺いますと、
宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 。
出典:Wikipedia
と出てきます。(難しい)
要約すると、摂理は「神様を中心」としているので、宗教だと言えます!
でも日本人(そして私を含む)多くの方は、やっぱり宗教って怖いし、気味悪いし、変だし、と話す方のほうが多いと思います。それは私もそうでしたし、私の親も「娘が聖書を学んでいる、摂理に通っている」と知った時にはとても心配していました。その時にはいろいろと調べもしたし、娘がどんな教会に通っているのか、心配して直接教会に来たりましました。そしてその流れで御言葉を聞いてみて確認もしました。それでも今も親は御言葉を聞いています。
宗教というと、途端に顔をしかめたくなるようなイメージがあるのはなぜでしょうか。その心配の根源というのは何なのか。これについてはこちらの記事でいろいろと深めてみています(^o^)
それで摂理宗教は何するところ?
一言で言えば「神様を学ぶところ」だと思います。
何で学ぶのかというと「聖書」を読みます。鄭明析(チョンミョンソク)先生がご自身の人生の中で辛く、苦しい毎日を送っていた中、毎日食べることだけでも大変な苦痛の環境で、ひたすら人生の答えを求めて神様にすがりつきました。そうやって何千回も聖書を読んで、何万回も祈って得たひとつひとつが、御言葉となって伝えられています。根本は聖書で、それ以外に何か教材を買うこともありません。
神様の真理、神様の愛、神様が願っていること。
人間がどうして生まれて、なぜ100年という短い人生を生きていくのか。
それを聖書を通して学ぶことができます。6000年分の歴史が凝縮している聖書・・・すごいですよね。旧約聖書の創世記を入れたら、ビックバンが起こって宇宙が誕生する時から書かれています。となると、137億年の歴史が聖書に書かれているということです(´;ω;`)
私も宗教が嫌でしたから、最初はどんなものかと警戒しながら聞いていましたが、旧約から新約まで神様がどうして歴史を導いて、そして現代はどういう時代なのかについて、とても臨場感あふれる内容になっています。そして結局、私がずっと抱えていた生の虚しさと理不尽さと自分の矛盾を根本から解かれるようになりました。
摂理に通う60歳、80歳の声
摂理について他の人はどのように思っているでしょうか。
同じ摂理で信仰を持っている人でも、私が思っていることと違いますし、その人が思っていることも違います。みんなそれぞれの不安と心配と悩みを抱えながら生きていますから、摂理についていろいろと言われていても、摂理に通う訳があります。
私はこの文章を読んで、本当に驚き感動しました。私には伝えることができない、先生の実際の姿が見えるからです。
先生はいつも誰かに喜んでほしいと思い、誰よりも心を低くされ、仕える方です。
と、私がここで文章を書いて説明するよりも、実際に体験された方の話にはかないません。
摂理に通う娘さんに対して、
「よーし、娘を取り返し、連れて帰るぞ!」という思いで韓国へ向かわれたお父様が、月明洞で先生と出会い、変わっていく姿が描かれています。
また他にも、
「宗教は嫌いだったが・・・」
一人は息子さんが書かれている文章で、もう一人はその人のお父様が語られています。
お父様の方はもう80歳になられたそうですが、長く社会に勤められながらも、摂理に来られた経緯を語っていらっしゃいます。
「とにかく勉強してみよう。ただ信仰はまた別問題、その結果だ」
はじめはそのような思いで聖書を学び始めたそうです。その後息子さんが「ここは摂理」だということは話してからは、インターネットでたくさん摂理について調べたそうです。それでも摂理で今もなお信仰を持ち続けている理由があります。そのことについて本人が直接書かれているので、とても説得力がある文章です。
どの人も決して盲目的に信じているのではありません。しっかりと社会人としてまっとうにお仕事され、子供も育ててこられた方々だとしても、摂理に心を打たれる理由があります。ぜひ読んでみてください。
他の方々の話もあります!こちらから覗いてみてくださいね^_^
引用:キリスト教福音宣教会ー摂理ー公式サイトより