摂理

摂理はコーヒーもダメ?お酒もたばこもダメ?


「あれもこれもダメだなんて・・・」「あれもこれもダメだなんて・・・」

摂理では「コーヒーは飲まないほうがよい」と、そんな話は確かにあります。しかしコーヒーにもメリット、デメリットが存在すしますから、それをしっかりと考慮した上で決めたらいいんじゃないかなと思います。いくら「するな」と言っても、その必要性を感じない人はするし、感じる人はしないのです。神様はおっしゃいました。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。創世記1:28

この聖句は、神様が人間に祝福してくださった御言葉です。

「また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ

神様はこれらのものを「治めよ」とおっしゃいました。つまり、人間には「全てを治める能力」を神様の祝福として与えられています。私たちは決して「治められる」人生ではなく、「治める能力を持った存在」なのです。

物質に治められる人々

しかし、世の中いろんな事件を見てみると、ほとんどの人が何かに「治められて」生きています。たとえば「人の言葉」に治められて生きているし、まわりの「環境」に治められて生きているし、「お酒」に治められて生きているし、「たばこ」に治められて生きています。

治められて生きるということは「これがないと生きられない」「自分を治めることができない」ということです。

したとき何で自分を治めているでしょうか。

悲しいとき、何で自分を満たしているでしょうか。

辛いとき、何で自分に力を与えているでしょうか。

食べ物でしょうか。お酒でしょうか。コーヒーでしょうか。

これらのものを、「自分」で治められるように神様は祝福してくださいました。

私が話したいのは、物質に治められることが悪いとか良いとかそういう話ではありません。しかし覚えておいてほしいのは、私たちは物質ではなく、「自分」ですべてのことを治められる「能力」を、神様が創造した当初からくださっているということです。

物質に治められて問題が起きた事例

たとえばお酒。

お酒に治められてどれだけ多くの事件が起こっているのか、テレビをつければすぐに分かりますよね。酔っ払って人を殴った。酔っ払って感情を抑えられずカッとなって人を刺した。酔っ払って事故を起こした。酔っ払って踏切を越えてしまった。酔っ払っていて話してしまった一言で人間関係が崩れることもあれば、社内の大事な秘密をもらす可能性があります。

酔っ払っているということは「お酒に自分が治められている」ということです。

酔っ払って自分の精神をつかめますか?大人でも道路をまっすぐ歩けません。おいしいものを食べては吐きます。その姿が、神様が創造した人間の姿でしょうか。違います。

神様は人間がすべてを治めるように創造しました。お酒がなくてもしっかりとしたコミュニケーションをとって人間関係が良好に築ける人はたくさんいます。かつ問題を犯すリスクもありません。また健康を害するリスクが少ないですのでいいですよね。

私は純粋に、「その生き方、かっこいいな」と思いました!

たとえばコーヒー。

コーヒーにはメリットがたくさんあります。集中力が上がったり、二日酔いの解消、利尿効果などなどです。しかしコーヒーを飲みすぎて亡くなった人もいるのも現実です。また、コーヒーがないとうまくいかない(うまくできない)、コーヒーを飲まないと耐えられない、もっと行って「カフェイン依存症」になってしまうと、コーヒーがなければ自分を治められない状態になります。それは本当の「自由」とはいえませんよね。

神様は人間がもっと「自由」になってほしくて、御言葉をくださいます。「自由」とは好き勝手何をやることだ、というと、聞こえがいいかもしれません。ですが、好き勝手に戦争を起こしたりや強盗したり、人と争ったり、自然を壊したりしたら、それは結果的に「不自由」を招いてしまいます。神様はそれを願ってはいません。「人間が好き勝手にやること」それを目的にするならば、イエス様はわざわざ御言葉を伝える必要もありませんでした。

本当の自由な生き方とは何か。

本当に人間として生きることとは何か。

わたしは摂理に来てこのことを学ぶようになりました。

自分を治める一番良い方法

「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。ヨハネによる福音書8章32節

自分を治める一番良い方法は「真理」を学ぶことです。「真理」は神様がくださった「法と秩序」です。白クマが生きるためには、白クマにふさわしい環境と気温と食べ物があることが条件です。これが白クマが生きるための「法」であり「秩序」です。

人間も生きるための「法」と「秩序」がありますが、それが「真理」です。真理は私たちを正しい道に行かせ、正しい考えができるようにさせ、ふさわしい判断ができるようにしてくれます。間違った考えで事故や問題を起こすことがなくなります。また、真理を通して自分の価値がわかるようになるので、自殺をしようと苦しみ、うつ病になって辛く思っていた摂理のメンバーも、御言葉を聞いて普通に生きれるようになった人がいます。

真理を知らなければ、自分の好き勝手に生きて、あれもいいこれもいい、と自分の好みを基準にして生きるようになります。でもそれが本当に正しいかどうかは分かりません。みんなが好き勝手にしたら「無秩序」の世界になってしまいます。道路交通法も守ってこそ安全であって、守らないで自由に走ったら大変なことになってしまいます。

だから御言葉で「○○するな」「○○しなさい」と言われた時には、一度心を空けてよく考えてみる必要があります。それがコーヒーだとしてもお酒だとしても、たばこだとしても、神様がおっしゃる意味はどういうことなのかを一度深く考えてみる必要があるのです。

「自分にとって必要な真理」だからこそ神様がわざわざおっしゃる御言葉です。

人間の立場だとよくわからないことが多いですよね。そういうとき、がんばって神様の立場で考えてみた時、本当に人間のためになることが何かはっきりと見えるようになります。最初は私も分かりませんでしたが、ただ「愛でおっしゃる言葉なのだな」と分かったとき、話していることが納得できるようになりました。

神様がおっしゃる御言葉は、人間が思うよりも、ずっと高くて深いです…。

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]