お正月に入っても、ずっと気持ちが悔い改めモードを抜けられない麦わらさん。
こんなにも気持ちが上がらない正月は初めてです笑
いろんなことを考えました。
やることは様々あるのに、ただこなしてしまっているようになっていました。
一度心がくじけると、中々上向きにならないものです。
人の心、まるで流れる水のよう。
燃える火のようだとは、このことです。
去年のことを考えて涙を流し、行ってきたことを考えて涙を流しました。
一体私に何ができたのかと、悔い改めをしながら、涙が出てきました。
考えが主を求めてさまよいました。
切実に祈りたくても、眠くなることもありました。中々、抜けられませんでした。
今日も果たして自分のこの考えをもっとどうしたら良くなるのか、、
今の自分を見ると、なんだか悲しくなりました。性能悪すぎな考えしか出てきません。
目まぐるしく、まるで荒波に流されるように、心が定まりませんでした。
しまいには、自分には愛があるのだろうか?と考えました。
今までやってきたことを自分の目で見ると、結果がないみたいでした。
神様も聖霊様も御子主も、人間と愛を結びたくて全てのものを創造されたのに、私の中に愛があるのか、、?
すべて形式やこなすことだったんじゃないかな、、?
そんな風にも思いました。
今日も御言葉を聞きました。
最後のこのとき、核である愛の油を備えようという御言葉でした。
そのあと深くお祈りをする中で、
御子が語られる声がとっても切実に、聞こえた、というより、自分が話してたのですが、こんな言葉でした。
「あなたはどうして私がこんなにも育てた愛を否定するのか。」
「あなたの愛に今も足を運んでいるのではないか」
それが、蕩々と、胸がとても熱く熱く、全身に響き渡る一言一言で、涙と鼻水ばかりでした。
その悲痛な叫びはまるで、イエス様が十字架にかかってでもあなたを愛したのではないか、という声にも似ていました。
それほど深い経緯が全部込められた愛の言葉が、悔い改めモードで嘆いていた心を、
もっと頑張ります。
という告白に変えさせました。
人にはできない、神の慰め、、
これはもう、がんばるっきゃない。
もう一度立ち上がって、神様を愛する心で行うことを決心した麦わらさんなのでした。