信仰のもがき

最後まで気を引き締めて〜考えの事故と運転の事故〜


事故が起こるのは、ほんの瞬間、ふっと気をゆるんだ瞬間だと思います。気をつけているのに事故に遭うということはほとんどないです。ふっとブレーキを緩めて、気がついたらガシャンと追突していた・・・なんて事故も多いのではないでしょうか。

よく先生は車の喩えを用いながら御言葉を伝えてくださるのですが、とくに「考え」と「運転」を掛けて使うことがあります。最近もこんな御言葉がありました。

最後に考えの事故、信仰の事故が起こらないようにしっかり運転しなさい。
目的地にほとんど来たのに、瞬間の誤った選択で、事故が起こればどれほど無念だろうか。(摂理の御言葉より)

今の今まで一生懸命に走ってきたのに、最後の最後になって事故に遭ったら、どれほど無念でしょうか。
目的地にほとんど来たのに、瞬間事故に遭ったら、ショックが大きいです。

瞬間、考えを間違うだけで、命を失う事故になってしまう・・・これが本当に、衝撃的です・・・。
教習所に通っていたときにも感じましたが、考えひとつ、判断ひとつで、本当に事故が起こるから怖いです。
技能の試験のとき、瞬間教官が言っていることがわからなくてふらっとハンドルを左に切ってしまったのですが、あやうく隣の車にぶつかりそうになりました。

このように、瞬間の判断ひとつで「事故」に繋がってしまうのです。

人生を生きる上でも、そうですよね・・・。
毎日毎日、私たちはありとあらゆる考えをしながら生きています。ある考えは1秒だけいて去っていき、ある考えは一日中頭から離れません。考えが悩みと憂鬱を持ってくるし、喜びも楽しみも持ってきます。

考えの影響力は凄まじいです。目に見えないのに、脳を占領して、感情も全部奪っていきます。すると行うことにも全部影響があるから、見えない化物みたいです。

今まで頑張って走ってきたけれども、最後になって疲れてしまったり、諦めてしまったり、疑ってしまったり、投げ出したくなったり、本当にここまで一緒に頑張って走ったけれども、そういう風に考えてしまうときってありませんか?

私もあります。最近もありました。自分にはもうダメだろな。自分にはできないだろな。私でない人を通してやってくれたらいいかもしれない・・・。そんな風に考えることがありました。

その瞬間の考えで、過去に頑張ってきたすべてのものがガラガラと崩れてしまうみたいでした。
ちっぽけな自分の姿だけが残っているみたいでした。

「考え」で<事故>が起こるのです。
私はそれでも続けることをもう一度決心してみました。そうしたら、少し道が見えてきた感じもしたんですよね!
今までやってきたことが、もう一度息を吹き返して、立ち上がる力になりました。

これも「考え」なんですよね。

どんな考えをするのかで、人生の運転が変わります。
最後の最後まで気を引き締めてこそ、事故が起こりません!
だから、考えを神様に掛けることがとても大事なんだなあと思います。

よく御言葉で、悪い考えが生じたときは神様、聖霊様、御子を呼びなさい、と出てくるのですが、私は頻繁にこれを実践します笑
でも本当に不思議なことに、神様、聖霊様、御子を呼ぶと、考えが瞬間呼ぶことに集中するから、悪い考えが消えるんですよね。
まるでハンドルを握り直すように、正常の位置に戻せる感覚があります。

目的地にほとんど着くときというのは、ついホッと安心しちゃいがちです。でも、そういうときこそもう一度気を引き締めて、目的地に着くその瞬間まで、さいご〜〜までしっかりと運転しなければなりません!
人生も途中まで華々しく生きていたのに、最後の最後で失敗して転落したら、華々しかった過去は全く何の役にも立ちません・・・。
だから本当に最後の最後まで、私達、一生懸命に走りましょう!

人生も、信仰も、何にしても最後まで諦めずに考えを引き締めて行えば、必ずゴールすることができると信じます!

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]