信仰のもがき

対話の「おし」になっていた〜対話が愛を復活させる鍵〜


対話することってとても大切です。対話をしなければ、心が離れて、通じなくなってしまいます。

分かってはいても、次第に対話が減って、心情の誤解が生じる経験は誰でも一度はしたことがあるのかなあと思います。

それは人間と神様との間もそうなのだと学びました。

摂理で神様と対話することを学んだ麦わらさんは、御言葉を聞いてピチピチのとき、たくさん対話をしていました。

なんとなく、新鮮だったんですよね、神様と対話するって^^;笑

学校から帰れば、よくお祈りもしていました。今日は深く祈るぞ!とかちょっとした目標を立てて祈ったりして、結構お祈りは好きな方でした。

どんなときにも、隣に神様を迎えて、手を繋いだり、自転車に乗るときは、後ろに乗ってください!と話して乗ってもらったりしました。

まるで初恋ですね!笑

学生のときはそんな風にして気さくに神様や主を呼んで共にしていたと思うのですが、社会人になると、だんだん難しく感じてきました^^;

拘束される時間が長いから、仕事中は、それこそ仕事で頭がいっぱいですし、
なかなか隣に神様をお迎えする意識が続きませんでした。
それでも隣に、と思って隣の椅子が空いたときは、そこにいらっしゃると思って過ごしました。

さらに職場が変わると、隣に迎えるのも大変なくらい、仕事が忙しく余裕がなくて、だんだんと昼休みだけに呼ぶので必死でした。

そしてだんだんとそちら側にならされてしまいました。

さて、最近気がついたことがあります。

 

「あ、私、思った以上に対話してないな」

 

最近の御言葉の中でとても胸に響いた言葉がありました。

いつもあなたの隣で共にする聖三位と主を推し量ってみなさい。

三位と主がどう考えるのか、どう感じるのか、 どのように受け入れるのかを必~ず見なさい。

どれほど瞬間瞬間のことを、三位と主を考えて見て、対話して共有していたのか、これまでを顧みるようになりました。

すると、瞬間のことだけでなく、結構がっつり投資した時間のことすら神様に話さないで、一日を終えることがありました。

それに気がついたとき、

これは、だめだ!!
もっとたくさん対話しないと!!と切実に感じるようになりました・・・。

友達にもあんなにべらべら話すのに、どうして神様の前にはそのように話さないでしょうか。神様は隣にいつもいらっしゃり、私たちと対話したいだけでなく、互いに心情を交わすことを願っていらっしゃるのに・・・。

<おし>の状態から抜け出すためには、

神様と聖霊様と御子と主に心から感謝感激して「愛の対話」をすることだ。

そして経緯を話して願い求め、歌で栄光を帰し、新婦として三位と主と一体になって生きることだ。

対話のおしになっていたことに気づけて本当に良かったです。だんだんと薄れてきた愛も、対話することで復活できるから、愛に倦怠を感じるときほど「対話」が鍵ですね^^

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麦わら
東京都民。児童館で働く傍ら社会問題を勉強しながら作品「オヤビンとコブン」を書いています。子育て支援員。保育士や子育て教育支援カウンセラーを勉強中。お問い合わせ・感想はLINEでもどうぞ![プロフィール詳細はこちら]